「今度こそうまくいくと思ったのになぁ」
 ビールのグラスをテーブルに戻して、本日何度目かになる台詞を、私は飽きもせずにまた口にする。正面に座った爆豪くんはそれこそ聞き飽きたという顔をして、私の言葉に相槌すら打たずに唐揚げに箸を伸ばしている。爆豪くんに無視されるのにも慣れっこなので、私は構わず「何がいけなかったのかなぁ」と、これまた本日数回目の言葉を口にした。

 この春、就職して無事に三年目を迎えた。爆豪くんは二十三歳になり、そろそろ独立を目指し動き始めているという。史上最年少での独立および事務所設立記録の樹立とまではいかなかったものの、それでも一般的なヒーローの独立する頃合いを考えればかなり早い方であることには違いない。ヒーローとして五年目の爆豪くんは、今もっとも脂ののっている若手ヒーローのひとりだった。
 爆豪くんほどではないにしても、私も私でそれなりに充実した日々を送っている。さすがに勤続三年目ともなれば日々の業務にも余裕が出てくる頃だ。ヒーロー資格を有した看護師として、いまだ先輩も後輩もいない独自のポジションではあるものの、この頃では時代に合わせたヒーローの働き方のひとつとして勤務先の病院の内外で何かと人前に立つことも多い。半面、現場での裁量もみとめられるようになってきたので現場の仕事もかなり楽しくなりつつある。
 そんなわけで、公私のうち「公」は充実している私と爆豪くんなのだが、とはいえ「私」が充実したものかと言われれば、はっきり言ってまったくそんなことはないのだった。
「ていうか爆豪くんの方はどうなの? このあいだ私が紹介した子は?」
 つまらなさそうな顔をしている爆豪くんに、私はそれとなく話題を振る。今日は私の失恋愚痴大会のような会合だったけれど、私にはそれとは別に、爆豪くんの恋愛方面の近況をそれとなく伺うという、けして爆豪くんに知られてはならない、知られたら最後何も漏らしてはくれないだろうという隠れた目的もあった。
 私と爆豪くんが学生時代からの友人であることはすでに職場でも周知の事実である。仕事柄爆豪くんが救急に顔を出すことは少なくなく、顔を合わせれば事務的な内容以上に言葉も交わす。
 そのためか、職場の同僚や後輩から爆豪くんを紹介してほしいと頼まれることもしばしばだった。大抵の場合、爆豪くんには恋人がいないので断る理由もなく、頼まれるがままに爆豪くんに紹介している。爆豪くんも別に、まったく恋人がいらないというわけではないらしい。
 ただ、その紹介がうまくいったことはほとんどない。紹介した後のことは原則ノータッチを貫いているけれど、さすがにまったく気にならないということはない。
 私の言葉に、爆豪くんは顔をしかめることすらなく、ただ
「知らねえ」
 と答えた。
「ああ、なるほど」
 私も短く答える。
 テーブルの真ん中に置かれた炭火焼の網からもうもうと上がる煙が頭上の排煙フードに吸い込まれていく。網の上の肉は爆豪くんによって完璧に管理され、もう少しで食べごろになろうとしていた。
 しかしどれほど美味しいお肉を目のまえにしても、私の心はいまいちぱっと晴れてはくれない。
 ひっそりと吐き出した私の溜息も多分、煙と一緒にフードに吸い込まれていった。

 私と爆豪くんは友達である。
 逆に言えば友達でしかないということで、つまるところ互いに恋愛の土俵には乗らないし乗せないことによって、ここまでの八年もの付き合いをうまいこと成立させてきたといっても過言ではない。
 別に爆豪くんと恋愛をしたくないわけではないけれど、恋愛をしたいというわけでもない。なんとなく、すでにそういうことに色々思いめぐらす時期は過ぎてしまった、というのが私の爆豪くんへの見解であり、また爆豪くんとしても私の見解と遠からぬ考えを抱いているように見えた。
 そんなわけなので、互いに相手を恋愛対象としない以上、お互い以外を恋愛対象とするのが道理である。私も爆豪くんもここ数年、パートナーがいたりいなかったり、そこそこに付き合ってはすぐに破局するようなことを繰り返しながら日々を仕事に費やしてきた。
 ヒーローも、そして看護師も、生活環境が慌ただしく不規則になる職業だ。おまけに緊急要請は当たり前のようについて回るので、かりに恋人とデートをしていたとしてもお構いなしに呼び出されることも少なくない。昨今のライフワークバランスを見直そうだとか、そういう勤め人として当たり前に行使すべき権利も、こと人命がかかった現場で働く人間には適用されないようである。
 そのせいで──というとなんだか自分たちの人間的な非をみとめていないようではあるけれど、しかし少なからず仕事のせいで、私たちが私生活を犠牲にしているのもまた事実。
 せっかく付き合うことになった相手とも結局は長続きせず、そのたびに「やっぱ私たち恋愛向いてない」となるのが私と爆豪くんのお決まりのようになっていた。
「つーかてめえが男を見る目がなさすぎんだろ」
 いい加減学習しろや、と言いながら爆豪くんは肉を私の取り皿へと放り込む。もともと面倒見がよかった爆豪くんだが、年々性格が丸くなりつつあるのをこういう時にひしひしと感じてしまう。もちろん万人に対して親切な人間というわけではないので、これもひとえに長年の付き合いで勝ち得た爆豪くんの友人という立場だからこその待遇なのだろう。
 実際、私が爆豪くんに紹介した女子から聞いた話では、私が話す「爆豪くん」と、彼女たちが接した「爆豪さん」では大きくイメージが乖離していることが少なくない。さして親しくない相手にとっての爆豪くんというのは、やはり高校時代からそう変わるところのない、荒々しく不器用な男の人なのだろう。
「でも今回は大丈夫だと思ったんだよ」
「何をもって大丈夫と思えんだ」
「定職に……ついてたし……」
「基準がバグってんな」
 突き放すように言われ、私は思わずテーブルに顔を突っ伏した。
 爆豪くんに言われずとも、自分の男の人を見る目がなさすぎることは重々承知している。そしてまた私の恋愛遍歴を「クソほどどうでもいい」と一蹴しつつも律儀にすべて覚えている爆豪くんにとっては、私が早晩破局するだろうこともお見通しなのだった。
「はー、本当何がいけなかったんだろ……」
「全部だろ。何度も言わすな」
「いや、でも今回は本当にいけると」
「だァから行けてねんだよ! 現実見ろ!」
「ぐう……」
 本当はぐうの音も出ないと言いたいところだが、何とかぐうの音くらいは発しておいた。爆豪くんがまた、肉を私の取り皿へと投入する。別れた彼氏への未練をたらたらに引きずりつつ、私は肉を口に運んだ。
 元カレへの未練は残っているものの、とりあえずこうして失恋を慰めてくれているんだか傷口をえぐっているんだか、とにかく一緒にごはんを食べてくれる爆豪くんがいる。
 爆豪くんとは違って私の恋愛を応援してくれていた手前、失恋直後には顔を合わせにくいけれど、お茶子ちゃんとの友情もまだまだ健在だ。
 公私ともに順調──というのはさすがに見栄っ張りな言い方になってしまうけれど、ひとまず、そんな感じで社会人三年目の私はどうにかこうにか生活することができている。
 こんな感じで時々爆豪くんやお茶子ちゃんとお酒を飲みつつ、忙しい日々を楽しく乗り越えていけたらなあ、とそんなことを思っていた二十三歳の春。
 環境が激変したのは、それからおよそ二週間後のことだった。

 ★

 その日、そのニュースを私は病棟の詰所で休憩していた時に聞かされた。
 テレビで速報を告げる音声が鳴ったのと、私に呼び出しがかかったのはほとんど同時だったと思う。
「苗字さん! 出て!!」
 緊迫した声で呼ばれた私は、考えるより先に立ち上がり、走り出していた。事情は分からなくても、「誰か」ではなく「私」が呼ばれる事態であることだけ分かれば十分だ。すなわち、ヒーローとしての緊急出動。
 この三年で身体にしみついた動作として詰所の出入口に置かれた救急バッグを引っ掴み、私は大股で走り出す。何の事情も分からないまま驚く病棟のスタッフたちの視線を振り払い、私は私を呼んだ緊急対応の医師とともに、全速力で病棟を飛び出した。
 詰所を出る間際、私の耳に届いていたのはテレビでアナウンサーが臨時ニュースを読み上げるなかの「爆発」「ヴィラン」「被害」という、断片的にだけ拾えた不穏な単語だった。その事件と私の出動に関係があったかどうかは定かではないが、恐らくは関係があるのだろう。こういうときの勘は大体当たる。そして案の定、その勘は当たった。
 病棟からの移動中、任務の詳細は移動の車中で説明するからとだけ言われたが、それは私の仕事の特性上けして珍しいことではない。大抵の場合、私が呼び出しを受けるような仕事はヒーロー協会か警察からの依頼になる。そして彼らは、現場の混乱が収束しないうちに緊急要請をかける。そうしなければ折角ヒーローが救出した市民への治療や搬送が遅れてしまうからである。
 病院を飛び出した私たちは、院内常駐ヒーローと合流し、ともに専用車に乗って現場へと急行した。現場や依頼元からの情報提供は、すべてこの常駐ヒーローを通している。とはいえ、今回ばかりはこの常駐ヒーローもまだ具体的な情報を持ってはいなかった。
 移動中に情報共有すると言われたが、実際には共有するほどの情報はまだ下りてきていない。しかしそのことが逆に、如何に事件が大規模なものなのかを物語っているようでもある。
 すでにこちらに下りてきている情報は、目的地は数十キロ離れた都心のオフィス街であるということ。国内屈指の大企業の支社がいくつも入ったそのオフィスビルを、ヴィランと思しき集団が攻撃したということだった。
 攻撃の手段──つまりはヴィランの「個性」については明らかになっていないが、ひとまずはガス攻撃などはなく、単純な破壊行為が確認されているのみである。しかしそれは現状の被害の状況というだけで、今後そのような攻撃が行われないということの保障にはならない。また、まだ効果が表れていないだけの攻撃がすでに加えられている可能性、何らかの時限式の攻撃が加えられている可能性も否定できない。
 被害の程度はまだ明らかにされていないが、ビル内に容されていた人数を考えても、かなりの規模の被害であったことにはまず間違いない。
「しかも、被害はその現場だけじゃない。関西と中部、九州でも、それぞれのエリアのランドマークや中心的建物が攻撃を受けている」
 そう説明したのは院内常駐ヒーローだった。石のつぶてのように固い声音に、車内の空気が限界まで張りつめる。
「それって、」
「ああ、国内では『連合』以来の、大規模なテロの可能性もある」
 重々しく返された言葉に、胸がざわつき背筋が冷たく凍った。
 思い出すのは学生時代に経験した、敵連合との戦闘の数々だ。私は「個性」の性質上、USJや林間合宿で奇襲を受けた以降に前線に出ることはついぞなかったが、それでも肌がひりつくような恐怖や如何ともしがたい絶望感のようなものにはそれなりに覚えがある。あの時の経験があるからこそ、今私はこの道を選び後方支援に徹しているといっても過言ではない。
 ここ数年、全国を恐怖の中に叩き落とすような大きなヴィラン被害は出ていない。犯罪件数自体は分かりやすく増減していないものの、一時の連合のように組織だった大きな事件はめっきり下火になっていた。だからこれほどの規模の事件は、少なくとも私が就職してからははじめてのことだ。
「ひとまずは、首都の救助救援活動ですね」
 自らの心を落ち着かせるべく、分かり切ったことを口にする。当たり前のことを言葉にしただけだったが、みんな私の動揺を察しているのか、誰も私を叱責したりはしなかった。
「そうだね。今後どうなるかは分からないけど、今はとにかく目のまえの事態への対処対応だ。特に苗字さんにはしっかり働いてもらうからそのつもりで」
「──はい」
「頼りにしてるよ、ヒーロー」
 隣のシートで強張った笑顔を浮かべている医師に肩を叩かれ、私もまた、強張った笑みを返した。こんなとき、うまく笑えるのがきっと一流のヒーローなのだろう──そんなことをかつての級友たちの顔を思い浮かべて考える。
 ヒーロー。就職して三年目になるが、今ほどその肩書を重く感じたことはない。
 爆豪くんやお茶子ちゃんたちはすでに現場で救援活動や犯行グループの捕縛の任についているのだろうか。それとも被害に遭った市民の救助活動に負われているのだろうか。
 常に危険と隣り合わせの仕事ではあるものの、私と同様、彼らだってここまでの仕事に駆り出される経験はほとんど無いに等しいはずだ。私と同じように、少なからず不安を抱いているに違いない。
 どうか、少しでも被害が少なく済みますように。
 ざわざわと落ち着かない胸を服の上からぎゅっと押さえ、祈るように目を閉じた。

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