もちろん爆豪くんにも高い志があることは知っているし、粗暴な態度とはうらはらにヒーロー業に対する彼の姿勢はどこまでも真摯だ。そのことは分かっている。
 けれど、爆豪くんの場合はその真面目さが分かりやすく表に出てくることはほとんどない。爆豪くん自身がそうした態度や言葉で分かってもらおうというつもりもないし、むしろある種「媚び」ともとれるような対応をすることは、彼の中の何らかの流儀に反していた。
 そんな爆豪くんだから、まさかインタビューの紙面を好感度がアップするような言葉の数々で飾れるとは、とてもではないが思えなかったのだ。何らかの大人の事情が働いたとしか思えない。
 私の半ば確信を持った疑問の言葉に、爆豪くんは口の中のモツを忌々し気に噛みながら鼻を鳴らす。
 その仕草こそが私の問いかけに対する爆豪くんの返事のすべてだった。
「ああ、なるほど……ほとんど台本なんだ……」
「違ェ! 俺が喋った部分を上のやつらが一部修正しただけだわ!」
 爆豪くんが卓を叩くせいで、取り皿の中のつゆがかすかに揺れた。しかしそれしきのことでは私は動じない。
「一部っていうか、ほとんどでしょ」
「……」
 台本を読まされたのでないのなら、爆豪くん本来の言葉はすべてカットされて差し替えられたと考えるのが妥当だろう。インタビューを見た感じでは一部差し替えらしきちぐはぐ感は感じられず、一貫してお上品で無難な言葉が連ねられていた。つまり、ほとんどすべてが差し替えということだ。
「分かってはいたけど、相変わらずメディア対応に難ありというか何というか……」
 鍋に残った野菜をさらいながら言うと、爆豪くんはまた不機嫌そうにふんと鼻を鳴らした。
「実績がありゃ誰も文句言わねえだろ」
「そんなこと言ってるといつまで経っても独立できないよ……」
 現在の最年少独立記録はあのホークスが打ち立てた二十二歳で事務所設立だ。私と爆豪くんは現在二十歳。最年少記録を塗り替えるためにはあと二年以内に独立しなければならない。
 爆豪くんはたしかにデビュー二年目としてはかなり異例のペースで実績を積みつつあるものの、人気があるかといえばそれはかなり微妙なところだ。派手な戦闘と整った容姿に反して彼のファンが若い男性に偏っていることから、人気がいまひとつな理由はうすうす察しがつく。
 爆豪くん本人もまた、そのことは理解している。ヒーローなんて人気商売、ファンがついてなんぼの職業だからこそ、市場調査と自らの評価の確認には爆豪くんも余念が無い。そういうところは真面目だ。
「ほら、一時はファンサなんて絶対にしなかったあのエンデヴァーだって、トップになってからはかなり丸くなったしさ」
「あれはまた事情が違ェだろ」
「いや、その辺は私は詳しくないけども」
 エンデヴァーのもとでインターン経験を積んだ爆豪くんと違い、私はナンバーワンヒーローとは何ら縁のない学生生活を送った。だから正直、その辺りのことはあまり詳しくない。轟くんとだってそう親しくしていたわけではない。あくまでもクラスメートとして不自然ではない距離感だったというだけで。
 ともあれ、エンデヴァーを引き合いに出したのはあくまでも例をあげようとしただけだ。エンデヴァーの心境の変化や、ファンに歩み寄るに至った思考の過程などはこの際関係がないことだった。
「まあ、無理にファンサしろとは言わないけど、敵はつくらない方がいいと思うよ。やっぱり命あっての物種だし」
「いきなり物騒なこと言ってんじゃねえよ」
「いやー、でも本当にそうだよ。なんか実習したりしてるとしみじみ思うもん。こんなこと、現場に出てて、私なんかよりずっと人の生き死にに近い場所にいる爆豪くんに言うことじゃないかもしれないけど」
 〆のうどんを注文するためにコールボタンを押し、私はほとんど独り言のように呟いた。
 秋のはじめまでで臨地実習を終え、今は目下国家試験の勉強に追われている。それでもバイトとしてリカバリーガールの助手をすれば怪我人や病人と接することも多いわけで、そういうときに思うのはやはり危険な現場で仕事をしているヒーローの友人たちのことだ。
 無事に国家試験に受かれば、私は卒業後はヒーロー資格をもった看護師として働くことになる。だから本来気に掛けるべきは被害に巻き込まれた市民のことなのだろう。けれど個人的な気持ちの向く先ばかりはどうしようもない。一人ひとりの顔を明確に思い浮かべることができる分、そして巻き込まれただけの市民とは違い日々危険と隣り合わせで生活している分、どうしたってかつての級友たちのことを思わずにはいられない。
 特に爆豪くんとは卒業してからもこうして縁が続いている。彼の仕事が凶悪犯と対峙することも多いだけに、心配に思わずにはいられなかった。 
「てめえなんぞに心配されねえでも、アンチなんざ返り討ちだわ」
 爆豪くんが自身満々に言う。
「アンチは返り討ちにしちゃだめなんじゃないの? 一応ヴィランじゃなくて市民なんだし」
「敵意むき出しにした時点でヴィランみてえなもんだろ」
「だからそういうこと言うから叩かれるんだよ」
 この分では爆豪くんが自らの言葉のみでインタビューの誌面を埋めることは当分難しそうだ。デビュー二年目にしてすでに超好戦的で知られる爆豪くんの行く末を思い、私はそっと溜息をついた。

 その日の帰りのことである。
 いつ呼び出しがかかるか分からないためソフトドリンクしか飲んでいない爆豪くんが車で送ってくれるというので、店から通りを挟んだ反対側にある駐車場へと向かう。
 店の外はすでにとっぷりと日が暮れ、冬の空にはちかちかと星が瞬いている。空気は身を切るように冷たい。私は首をすくめるとコートのポケットに両手をつっこんだ。
「うう、寒い。駐車場までのこの距離だけで身体が凍りそうだよ」
「つーかてめえ、『個性』で移動できんだからそれで勝手に帰りゃいいだろうが」
 私に比べれば平気そうな顔をしている爆豪くんは、そんなことを言ってこちらに視線を遣る。
 高校入学時には一メートルしか移動できなかった私の『個性』だが、高校三年間の訓練のたまもので自分の移動だけならば一度に十メートルまで移動ができるようになっていた。物質の移動も、一メートルから三メートルまで距離を伸ばしている。たかだか十メートルではあるものの、連続使用ができるので『個性』で帰る、というのも理論上は無理な話ではない。現在地は自宅からそう遠く離れているわけでもない。
 けれど──
「だって私、ヒーローとして活動するための届け出も出してないし。どこでも『個性』使える権限ないよ」
「個人使用の範疇なら何も言われねえだろ」
「それはそうなんだろうけど……でもやっぱ、みんなが時間とかお金とか掛けて移動するところをずるするみたいで悪いかなって」
「意味わかんねえ」
「そうかなあ……結構普通のことだと思うけど……」
 本来──『個性』が発言するより以前には、人間は身体能力に差こそあれど今ほどはっきりと個人の能力差をもってはいなかった。貧富の差、生まれの差などはあったとしても、今の超人社会と比べればその世界はきっと、ずっと平等だったのだろうと思う。
 『個性』はそうした社会の枠組みを破壊した。持つものと持たざるものを明確に分け、持つものの中でも優劣をつけた。『個性』ありきの超人社会は、どこまでも不平等だ。
 だからこそ、ヒーローという職業がある。優れた『個性』を持つものはその能力を、能力によって得られる恩恵を、社会に還元する。ヒーロー科での学生生活において、そのことは嫌というほど叩き込まれた。だからこそ、私は人より便利な『個性』であってもそれを利己のために用いようとは思わない。またヒーローとして働くためには多少心許ない『個性』だろうと、少しでも社会に還元するためにこうして別の道を模索してもいる。
「まあちょっとした移動とかなら平気で使うけど」
「結局てめえのさじ加減じゃねえか」
「へへ」
 それを言われると返す言葉はないので、とりあえず笑って誤魔化した。
 と、そんな話をしながら駐車場まで歩いてきたところで。
「あの、もしかして爆心地ですか!?」
 通りすがりの青年──高校生くらいの男の子に、ふいに声を掛けられた。周囲はすでに暗闇に包まれており、おまけに爆豪くんはマスクもしている。まさか声を掛けられるとも思っておらず、私はもちろん爆豪くんも「あ?」と気の抜けた返事をした。
 その「あ?」を爆豪くんの不機嫌だと勘違いしたのか、青年は慌てて姿勢を正す。
「あ、あの俺、爆心地──いや、爆心地さんのファンです! いつもネットで活躍チェックとかしてて! ほかのヒーローみたいに大衆に媚びない硬派な姿勢がすげえかっこよくて! うわ、まじでやばい……身体ごつ……あ、ていうかすみませんプライベートの時間に話しかけて!」
「まったくだわ」
 青年の熱量に若干気圧されつつも、爆豪くんは何とかそれだけ返事をした。ファンに対する態度とは思えないほどのそっけなさだが、青年の話を聞いた限りでは爆豪くんのこういう「媚びない硬派な姿勢」に憧れているというのだから、対応としてはまずいものではないのだろう。
 何となく釈然としない思いを感じつつも、これはこれでひとつのファンサービスの形なのかもしれないとも思う。限りなくニッチで、恐らくヒーローファンの大多数には受け入れがたい形態のファンとの交流ではあるのだろうが。
 私がそんなことをつらつらと考えている間、その場には何とも言えない沈黙が落ちていた。ファンの青年はじっと爆豪くんを見ているし、爆豪くんは爆豪くんで何故かむっつりと青年を睨んでいる。互いに言葉を交わすまでもなく魂で交流をしている──というのでは当然なく、ただ互いに話すべき言葉がないだけなのだろうことは一目瞭然だった。
 これ一体どういう時間なんだろう。
 完全に部外者でしかない、しかしだからこそもっとも客観的にこの場に立ち会っている私が困惑していると。
「……そ、それじゃあ俺は──」
 沈黙に耐えかねたファンの青年がその場を立ち去ろうと口を開く。まあ、それが正しい判断だろう。私でもきっとそうした。
 しかし爆豪くんのファンとしては、その対応は正解ではなかったらしい。
 青年が一歩足を引いた瞬間、爆豪くんが怒鳴った。
「てめえ俺のファンだっつーなら握手くらい求めてこいや!」
「ひっ、あっ、すみません! 握手してください!」
「しゃあねえな!!」
 ものすごい剣幕で怒鳴られ、勢いそのままに爆豪くんへと手を突き出す青年と、その手をおざなりに握ってすぐさま離す爆豪くん。自ら握手を乞うよう要求したというのに、あまりにも適当なことこの上ない握手だった。思わず私はあんぐりと口を開ける。
 だが私のような部外者にはまったく理解できない光景も、ファンの青年にとっては堪らないほどのサービスだったらしい。夜の暗がりの中でもそうと分かるほどに瞳をきらきらと輝かせた彼は、爆豪くんに適当に握られた手を確認するように何度も握ったり開いたりを繰り返し、
「ありがとうございました! あ、あと俺口堅いんで大丈夫っす!」
 と大声で宣言して走り去っていった。
 残された私と爆豪くんは、半ば呆然、半ば困惑してその後ろ姿を見送る。
 何というか、台風のような青年だった。
「何だったの、今の。もしかしてファンサ?」
 爆豪くんに尋ねれば、
「どっからどう見てもそうだろ」
 といやに自信に満ち溢れた返事が返ってくる。
「すごい、なんというか前衛的なアレだったね……ファンサービスというよりファン恫喝だったよ」
「面白くねえんだよ」
 私のコメントを一蹴し、爆豪くんは上着から携帯を取り出す。車に乗り込むまでの間に何か検索をかけていたかと思えば、
「チッ、そっこうでSNSにアップしてんじゃねえか……何が口堅ェだ」
 と腹立たし気に呟いた。どうやら先ほどの青年のSNSでの発言を検索していたらしい。見かけによらずそうした方面に詳しそうな爆豪くんに、失礼ながら多少感心した。他人からの評価は爆豪くんにとって職務上必要な情報だが、それはあくまでも「世間」や「市民」「大衆」からの評価である。こうした個別のリアクションについては歯牙にもかけないだろうと思っていた。だからてっきり、ネットやSNSでの情報には疎いものだろうと思っていたのだ。
「あ、それ、そのコメントに私のこと書いてある?」
「あ? 凡人のことなんざわざわざ書いてあるわけねえだろ」
「じゃあ、そういうことだよ。多分」
いちいち悪口を挟まずにはいられない爆豪くんを無視して、私は言った。
 口が堅いというのは、つまり爆豪くんが私──ヒーローでも何でもない一般人の女性と一緒にいたことを口外しない、ということなのだろう。爆豪くんのようなタイプが女性とふたりきりでいたとなれば、取りも直さず恋愛がらみの関係であると疑われてもおかしくない。
 あの青年がそのような勘違いをしていたかは定かではないけれど、それでも余計なことは発信しないということを徹底してくれるのはありがたいことだった。
 私が思い描く形での「ヒーローとファンの交流」ではなかったものの、思いがけずいいものを見せてもらった。爆豪くんが自分のファンにサービスをしているシーンというのは、彼のヒーローとしての活動をそれなりにきちんとチェックしていたところでなかなか見られるものではない。
「爆豪くんもああやって慣れないファンサ頑張ってるし、私も勉強と実習頑張らないとなー」
「だから俺は別に慣れないこと頑張ってやってるわけじゃねんだよ。余裕でファンサくらいできるわ」
 どこか先ほどまでよりも機嫌よさげに反駁する爆豪くんに、
「まずはインタビュー差し替えされなくなってからいいなよ……」
 とシートベルトを締めながら私は答えた。

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