April showers bring May flowers.(2/3)

(2/3)

 と、勘右衛門がさらに盃を煽って、
「別にいいと思うけど。別に武家のおなごの再縁なんて珍しいものでもないだろ? おれならむしろ、よそで花嫁修業してきてくれてるわけだからありがたいとすら思うけどなー」
「お前はそういうやつだよ」
「そういうとこ、い組のふたりは現実的というか即物的というか」
「い組って久々に言われた」
 けらけらと勘右衛門が笑う。たしかに、卒業してもう三年も経つというのにいまさら「い組」も「ろ組」もあったものではないのだが、とはいえ六年間寝食を共にした級友と思うと、どうしてもあの頃の名残が出てしまうのは仕方がないことだった。酔っているので、いろいろなことが曖昧になっているのかもしれない。
 しかし、酔っ払い一号のはずの勘右衛門は、相変わらず顔を赤くしながらも、
「で、三郎は何を気にしてんの?」
 と、鋭い眼光をこちらに向かって投げかけてくる。思わずごくりと喉を鳴らした。
「何をって──別に、」
「あ、もしかしてあれ? 前の旦那さんのクセが強いとか?」
「こら、勘右衛門」
「いやー、悪い悪い。酔うとどうしてもその手の話がしたくなる……って、ん? んんん? 三郎?」
 へらへら笑った勘右衛門が、その赤らめた丸顔で私の顔を覗きこむ。身体をのけぞらせて距離をとろうとするが、すぐ背後に壁があり、私にはほとんど逃げ道など用意されてはいなかった。
「まさか……」
「いや、違う。クセとか、そういうことじゃないんだ」
 追いつめられ、そんなことを口走る。
「ただなあ……」
 ああ、多分、私も酔っている。
「うまいんだよ、あっちが」
 口からそんな言葉が滑り落ちた。
 雷蔵が、あんぐりと口を開けて言葉を失っていた。

(以下、直接的な表現はありませんが、事後および情事の回想があります)

 夜着の名前が、寝間で私を待っていた。ごくりと、喉が鳴る。
 海を見て戻ったその日、私と名前はおよそ半年の夫婦生活ではじめて、男女の交わりに踏み切った。
 その行為がひととおり終わったとき、名前は私に身体をあずけ、くったりと横たわっていた。眠ってこそいないが目蓋はすっかり閉じられて、その小さな鼻を私の胸に寄せる姿は、普段の可愛げのなさとはまるで違っている。名前のさらりとした髪を梳きながら、先ほどまで私の手によって散々ぱら乱れていたそのあられもない姿を思い出していた。
 はじめて抱く名前の身体は、不思議なほどにしっくりときた。抱き合えば、まるでもともとはひとつの形であったかのように、体の隅々までもがうまくすっぽりと嵌ったような感じがした。
 感度の良さ、優秀なくのたまとして鳴らした体つき、やわらかさ。そのいずれもが、私がこれまで抱いたことのある如何なるおなごとも異なっている。窓から差し込む月に照らされた白い肌は、じんわりとうちから滲むような火照りで私を抱きしめていた。
 普段の割と可愛げのない性格とはまるで違う、淫靡でなまめかしい肢体と媚態に、つまるところ私は、すっかりやられてしまったのだ。

 ──と、まあそういうことを、もちろん尋常ならざるほど包みに包んで、おまけにもう一度油紙に包んだような曖昧さでもって、私は雷蔵と勘右衛門に話して聞かせた。何が悲しくて自分と家内の営みの話などしなければならないのか、と自分でも情けなくなるが、すべては酔いと場の空気である。昔から、勘右衛門がいる酒の場では気が付けば下世話な話になっていることもしばしばだった。
 その勘右衛門は、ひととおり私の話を聞き届けると、顎に手を当て「ふうむ」とひとつ、したり顔で頷いた。
「三郎の言わんとするところも分からないではないけれど。でもまあ、苗字だってかつては優秀なくのたまだったわけだし、そりゃあ男を悦ばせる術だって心得てるんじゃないか?」
 勘右衛門の言うことにも一理ある。実際、あの体つきや関節の柔らかさのようなものは、夫婦となってから再開した鍛錬の成果でもあるのだろう。身体が柔らかいことは、そのまま床上での上手い下手にもつながる。
 しかし私は、一部には納得しつつもその言葉を否定した。
「あいつが退学したのは五年の半ばだ。本格的に色の授業が始まるより前だよ」
「といっても、『くノ一の友』なんかを読めば、そのあたりの知識は得られるだろう」
「だからって、独学だけ、それも書物で得た知識だけがいきなり実践に結びつくか?」
 途端に勘右衛門がもの言いたげに口を開くので、私はその発言を潰すように、
「言っておくがくのたまだった頃のあいつは未貫通だった。それは間違いない」
 と先回りする。
「うわっ、お前いくら今は自分のかみさんだからってあんまりそういうこと言うなよ」
「でも事実だ」
「三郎の観察眼は鋭いからなあ……」
 なんだかあまり褒められた気がしない褒め言葉を掛けられた。どちらかといえば貶されているような気すらするのだが、この際そのことをとやかく言っている場合ではなかった。
 私の胸中を察したように、雷蔵が、
「ふうん。となると、やっぱり前の旦那さんかぁ」
 と独り言のように纏める。私も頷いた。
「ああ。前のひとと死別してからは浮いた話はなかったはずだからな」
 名前のこととなるとどうにも普段の自分を保てないことも多い私ではあるものの、忍びとして、嫁とりに際して一通り名前の身辺調査らしきことはしている。そのおかげであいつの忍術学園を辞した後の生活ぶりについては大体のところを把握していた。
 前のひとに先立たれて以降、名前には浮いた話はひとつもない。
 あの器量よしだから、そりゃあその気になれば相手に困ることはなかったのだろうが、夫の死後も婚家に身を置いていた手前か、そういった浮ついた話とは一切無縁の生活を送っているようだというのが、周辺を探った私の結論だった。
 そもそも、名前は男に入れあげるような性質(たち)でも、男がいなければ生きていかれないような性質でもない。いなければいないでどうにかするし、実際どうにかしていた。私との縁談も、正直に言えば私は断られるかもしれないというつもり半分で申し込んだくらいだ。
 だから、名前がいわゆる「床上手」というのであれば、名前の中の女を拓いたのは間違いなく前のひとということになる。名前本来の気質が手伝っていたとしても、一番最初にこじ開けたのは、前のひと──彦左衛門という男だろう。
 と、知らず識らずのうちに眉根が寄っていた私の眉間に、勘右衛門がぷすりと人差し指をさした。そして、むっとして勘右衛門を睨む私に一言、邪気のない表情で訊ねた。
「……いや、で、それの何が問題?」
 私と雷蔵が、揃ってぽかんとした。
 何が問題って、こいつ、今までの話を聞いていなかったのだろうか。
 困惑する私と雷蔵を一瞥して、勘右衛門は手酌で自分の盃に酒を注ぐ。それからまるきり本心から言っているであろう、十八の男にしてはつぶらすぎる眼で、
「だってそうだろ? あっちがうまいおなごなんて、夫からしてみれば最高じゃないか。だってお前、夫婦だぞ。一生付き合っていくんだぞ。だったら何かと相性が良くてお互い楽しい相手がいいに決まってる。顔の美醜より、上手い下手のが大事だよ」
 と事もなげに言い放つ。その即物的で、しかしそれだけに理路整然と分かりやすい言い分に、私は思わず閉口した。そうだった、こいつはこういう考え方のできる男だった。
 少なくとも、自分の心底惚れ込んだ女を相手にしているわけでもないのであれば、勘右衛門はきっと、そのおなごの持つ妙技がどこで仕込まれたものなのかなど、まったく頓着しないのだろう。大切なのは、その時腕の中にいる女子がどういうものを持っていて、どう尽くしてくれるかということだけだ。
 勘右衛門が心底惚れこむようなおなごというのも、またそれはそれで厄介そうなおなごのような気もするが、ともあれ、ここでもまた勘右衛門の言い分は一理あるのだった。
「あけすけだなあ、勘右衛門」
 他人事なので笑っている雷蔵に、勘右衛門はにやりと笑う。
「実際そう思ってるからな。なに、閨の得意はおなごの器量のひとつだよ。よかったじゃないか、なっ、三郎」
 そう言われてそうだなよかったな、などと言えるならば最初から悩んだりしない。
 結局、その話はそこで終いになって、そこから先は昔話に花が咲いた。明け方近くにようやく眠りにつき、目を覚ました頃には太陽が中天まで高く上っていた。

 勘右衛門と雷蔵と酒を飲み交わした日から数日後の晩、ふたたび名前を抱いた。これまでにもすでに何度か抱いているものの、やはりしっくりと潤う感覚が得も言われず心地よい。名前を抱くというのは、そもそもただ腕の中のおなごを好きに抱きつぶすのとは違う。それは四年間、いやそれ以上に亘って胸の中に在り続けた感情や思い出を抱くのと同じようなものなのだ。身体的な快はもとより、もっと精神的かつ抽象的に、ぐっと来るものがある。
 その「ぐっとくるもの」を感じているさなかに、ふいにそれはやってくる。
 名前のつやめかしく女らしい艶ぶりを、私より先に拓いた男がいる。
 その事実への、名状しがたい昏い感情。それが、私の胸に押し寄せとぐろを巻くのだ。無論、それを名前に話すことができるはずもないのだが、だからといって見て見ぬふりできるというわけでもない。
 ようやく身体を起こし、気だるげな仕草で夜着を身に着ける名前を、横たわったまま漫然と眺める。乱れた髪がはらりと肩にかかっている。そんなことまでがいちいちそれらしく見えるのだから、私の身内贔屓もなかなかのものだと自分で呆れる。
 ──しかし、この眺めを私より先に見た男がいるんだよな。
 何度目かもしれないことを考えうんざりしたとき。
「鉢屋、私に何か言いたいことがあるんじゃないの」
 と、私に背中を向けて着替えをしていた名前がおもむろに切り出した。思いがけず心の中を見透かされたような気がして、私は一瞬驚き惑う。その間が私らしくなかった。くるりと振り向いた名前は、困ったように眉を下げて、
「やっぱり」
 と、小さく嘆息した。どうやら鎌をかけられたらしい。名前のくせに生意気なことを、と胸中で舌打ちをするが、そもそもこの女はこういう女である。くのたま主席を五年も務め上げているわけだから、それなりに豪胆でしたたかなはずなのだ。ここのところすっかり丸くなってしまい良妻であろうとしていたから、その本来の性質が私の頭の中からすっぽりと抜け落ちていた。
 いや、しかし私だってこれでも将来を嘱望される若手の忍びである。その私がまんまと鎌にかけられているのだから情けない。名前のしたたかさというよりは、女を抱いた後のふわふわした精神状態が招いたことともいえる。もちろん、そういうタイミングを名前が狙ってたというのも大いにありうるが。

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