たからもの | ナノ


別れの時はすぐ側まで迫って来ているのかもしれない、と私は思った。

だから私は長かった髪をバッサリ切った。

女として平穏に生きていく道を捨て、代わりに戦の中に身を置く覚悟を決めた。


「(もうすぐ…土方さんに会える…)」


私は幕府軍の方の案内を受けながら蝦夷の地を歩いていた。



――ふと空を見上げながら、今までのことを回想する…――


一年前まで、私は新選組で女中兼医者として働いていた。


私は両親を知らない。


ただ、物心ついたときには、自分が鬼と呼ばれる存在だということだけを知っていた。


そんな私を育ててくれたのは、松本良順先生だった。

先生は医者で、道端に座り込んでいた私を拾ってくれた。


先生のもとで暮らすようになってから、私は自然と医術を学び、医者を志すようになっていた。



そしてそんなある日、私に転機が訪れた。


「名前。新選組で、働く気はないかい?」


突然先生はそう言いだした。


先生曰く、新選組は病人の宝庫らしく、衛生的によろしくないらしい。

だから私に、新選組の衛生管理をし、医者として、皆を守ってほしい。とのことだった。


私は二つ返事で「はい。」と答えた。


やりがいのありそうな仕事だし、なにより、先生のお役に立ちたかった。


そうして、私は新選組で働くことになったのだ。


新選組は男所帯のため、女性が隊に入るというのは異例のことらしく、上の方の計らいで、私は副長の土方さんつきの女中として、新選組に入隊することが決まった。


初めは正直怖かった。

まわりは皆男の人だし、何より、土方さんはいつも眉間にしわを寄せている。

噂に聞いていた「鬼の副長」という印象が助長して、更に怖いという気持ちが強かった。


でも、しばらく土方さんを傍で見ているうちにその印象は変わっていった。


芯の部分は優しく、常に新選組のため…そう思って行動している人だった。

新選組の為に鬼になっている…そうわかった時、私はとても土方さんのことを尊敬した。

また、徐々に土方さんには他の人とは異なる感情を抱き始めた。


それは、この人が好きだという気持ち…


恋、だった。



だから私はこれからもずっとこの人のそばで働きたい…。

出来ることなら彼を支えることが出来たら…そう思っていた。


しかし、時代の波は確実に新選組を巻き込んでいった。


京で、鳥羽・伏見の戦いが始まったのだ。


「お前は新選組を去れ。」

陣中で指示を仰いだ私に土方さんはそう言い放った。


その時、心臓が冷えたのは今でも覚えている。


…なんとなく、そう言われるような気がしてはいたのだ…。

でもいざいわれると、その言葉は胸を締め付ける。


「…私は医術を扱えます。…確かに女の身では邪魔に思うかもしれませんが、ここで私がいなくなったら、怪我をした人を治療出来るのは、山崎さんだけになってしまいます…!少しはお役に立てるはずです。…どうかわたしをここに置いてください…!」

私は地に額がつくほど頭を下げた。


なんとしてでもここを離れたくなかった。


しかし、土方さんは黙ったままだった。


顔を上げて見れば、土方さんは苦い顔をしていた。

「土方さん。お願いします。」


もう一度懇願する。

すると土方さんはまっすぐに私の目を見据えて


「……名前…。これは、命令だ。…お前はここを去れ。」


低く、重々しく、そう言った。


私は唇をかみしめて請うような目で土方さんを見た。


しかし、土方さんの瞳が揺らぐことはなかった。


それから私は、程なくして新選組を離れることになった。


良順先生は、忙しく働いており、行くあてなどなかった私は、土方さんの計らいで、会津藩に行くことになった。


そこでは長屋の一室を借りて、新たな生活を始めた。



恐ろしいほど平穏な毎日だった。


流石に京の戦のことで、物々しい空気ではあったが、今はただの町人である私はさほど影響を受けず、平凡な日々を送っていた。


それに反して私の心は、日ごとに不安が募っていくのだった。

…今頃新選組の皆さんはどうしているだろうか…皆は無事だろうか…


そんなことばかりを考えてしまう日々…。


私はとうとういてもたってもいられなくなり、彼らの情報を集め始めた。


――戦況は芳しくなかった――


私が京をたち、会津についたころ、どうやら新選組は京の戦に負けてしまったらしい。


将軍様は江戸にもどり、新選組は今次に守護を命じられた甲府城へ向かっているらしい。


こんな風に調べることでしか彼らのことを知ることが出来ない…。

それが実に歯がゆかった。



情報収集の際、私はとある軍人さんと出会った。

彼は名を大鳥さんと言って、幕府軍のお偉いさんらしく、戦の準備で会津に来ているようだった。

事情を話すと、彼は新選組の状況を教えてくれた。

最近は何かあると、彼が丁寧に教えてくれた。


しばらくたった後、土方さんたちは撤退を余儀なくされたらしい。


そして…城を去る時に、近藤さんが投降した…そんなことも教えられた。

また、江戸で原田さんと、永倉さんが新選組を抜けてしまったらしいとも聞いた。


土方さんの心境を思うと、胸が苦しくなった。


しかし、そんな中、私には朗報と言える情報が舞い込んだ。


――新選組が、会津に向かっている、ということだった。――


私は何とかして土方さんたちに会えないだろかと大鳥さんに頼んでみた。


「うーん…。今戦はかなり緊迫した状況にあるからな…。僕としては、君を連れていくことはできないな…。」


大鳥さんは真剣な顔をしていた。


その言葉は、残酷だが筋の通っていることだった。


でももう、こんな所で何もしないで情報だけを待つ…そんなことはできなかった。


現状に甘んじる…それを私の志は良しとしなかった。










「…大鳥さん。鬼って知っていますか?」


私は唐突に話を切り出した。


「鬼…?…鬼ってあの伝説上の生き物だよね?」


大鳥さんは不思議そうに首を傾げる。


「見ててください。」


私はそういうと、


鬼の姿へと変貌した。


大鳥さんは目を丸くした。


「それは…」


私の姿を見た大鳥さんの脳裏には「鬼」という言葉が浮かんだのだろう。


「そうです。私は鬼なんです。…大鳥さん、羅刹は知っていますね?」


彼なら当然羅刹のことも知っているはずだった。


「…ああ…知っているよ…」



「鬼は、羅刹同様、ものすごい力があります。傷の治りも早いです。でも羅刹と違って、昼の活動に支障をきたしませんし、力を使っても、寿命が縮まることもありません。」


私の話を大鳥さんは真剣に聞いていてくれた。

「私は養父が医者だったので、医療の知識もあります。…ですから、どうか新選組と合流出来るように取り計らっていただけませんか?」


私は精一杯頭を下げた。


「…わかったよ…。やるだけはやってみよう。…でもいくら救護専門で合流するといっても、自分の身を守れなくては困る。体が丈夫でも、戦闘術を知らなければ意味がない。だから、君に、剣術などを学んでもらわないと。…覚悟はあるかい?」


私は即答した。

「はい。」



それから私は大鳥さんに勧められた道場に通い始めた。


私が髪の毛を切ったのはその時だ。


女としては通えないため、私は男装をすることとなった。

道場に入ってから、私は死に物狂いで特訓した。


早く土方さんに会いたい…


彼の役に立ちたい…


その一心だった。


しかし、予想以上に早く、会津で戦が始まってしまった。


…力の差は圧倒的だった。

幕府軍は新政府軍の新兵器の前になす術もなく、敗戦の色は濃かった。


――新選組が会津に到着したという知らせが私の元に届いた時には、既に戦の決着がついていた――


戦火のごたごたの中で、連絡が思うように出来なかったようで、手紙が書かれたのは、二週間も前だった。


その後、遅れて送られてきた書面には、会津には斎藤さんが向かって参戦し、土方さんたちは仙台へ向かったということ、会津に残った斎藤さんの安否はまだ分かっていないことが記されていた。


私はすぐに仙台へと向かった。


しかし、そこでも彼らに会うことは叶わなかった。

軍の方に聞いた話によると、彼らは蝦夷の地を目指しているという。


しかし、大鳥さんからの連絡が途絶えてしまい。彼らの正確な足取りがつかめていない。


――それだけでも彼らがいかに窮地に追いやられているかがわかった。――


私はすがるような気持ちで、更に北を目指した。



しばらくした後、私は津軽の地に着いた。


蝦夷へ行く船を捜すため、港を歩いていると、何やら人がたくさんおり、物資を船に運び込んでいる。


そしてそこには見覚えのある洋装姿の人がいた。


私はもしやと思い、その人物に駆け寄った。


「大鳥さん!」


声を上げると、その人物はこちらを振り向いた。


彼は驚いたような顔をした後、不思議そうに眉をひそめた。


「…もしかして…名前さんかい…?」


ぱっとしない返事を返され、私はああと思った。


気づかないのも無理はない。


大鳥さんは、髪を短くし、男装姿の私を見るのは初めてだったのだ。


「はい。お久しぶりです。」


私はにっこりと笑った。


「驚いたよ。一瞬誰だか分らなかったよ。格好いいね。」


「本当ですか?」

私は少し照れくさくて頭を掻いた。この恰好が似合っているか自信がなかったから、嬉しかった。

「うん。そこらの男と比べても、君の方がよっぽど男前だよ。…って、仮にも女性に対して失礼だったかな…?」

大鳥さんはしまった、という顔をして弁明した。


私は微笑む。

「いえ。とんでもないです…!そんな風に褒めていただけて嬉しいです。」



「それならいいのだけど。」


大鳥さんはホッとしたような表情を見せた。

「ところで、大鳥さんはこれからどちらに?」


「僕はこれから救援物資を蝦夷に運ぶんだ。」


大鳥さんの言葉に私は真剣な顔になる。


「…大鳥さん。私も一緒に連れて行って下さいませんか?」

私の申し出に大鳥さんは目を大きく見開いた。


無言で私をじっと見つめる。


「……君も戦況は大体わかっているだろう。…それでも君は行くというのかい…?」


確かに戦に負けてしまうかもしれない。蝦夷の地に行けば、命の保証はない。


それでも私の覚悟はとうに決まっていた。


「もちろんです。」


大鳥さんはやれやれと言った顔で、苦笑した。

「…わかった。君の乗船を許可するよ。」


――こうして、私は蝦夷の地に渡ったのであった。――





「土方君は君の姿を見たら驚くだろうね。」


前を歩く大鳥さんが嬉しそうに笑う。


「そうですね。」


確かにこの私の姿を見たら、土方さんは驚くだろう。


そして私がここへ来たことを怒りそうだ、と思った。


それでも私は帰るつもりはない。


馬鹿な奴だと呆れられるかもしれない。
突き出されてしまうかもしれない。


でももう私は何が何でも土方さんからは離れない。そう決めたのだ。




しばらく歩くと、幕府軍の詰め所につく。

「さあこっちに。」


大鳥さんに連れられて、詰め所内を歩く。


廊下を歩いて行くと、大鳥さんはある部屋の前で立ち止まる。


コンコンッ

扉を叩く。


「土方君。僕だ。」


「入ってくれ。」


帰って来た返事に名前の心臓がドクリと脈打つ。


大鳥がドアを開ける。



…その先にいた人物を目にして、名前は息をのんだ。


…どれだけこの瞬間を待ちわびただろうか…。

胸が詰まった。


彼は机に向かったまま顔を上げなかった。


「土方君。君に客人だよ。」


大鳥はそう言って部屋へと入っていく。



名前もその後をついて、部屋に入る。


大鳥の言葉でようやく土方は顔を上げた。


「客…?一体どちらさん…」

言いかけて土方の目がみるみる丸くなる。


大鳥はにこにこ笑っていた。


「……名前……。……なんで…お前が……」


あっけにとられた顔をしていた。


土方がこんな顔をするところを名前は見たことがなかったので、名前はしてやったりという気分になり、思わず笑みがこぼれた。


「流石というべきかな。一発で彼女のことが分かってしまうなんて。」


大鳥は感心したように言った。


土方は眉間にしわを寄せ、押し黙った。


「じゃあ、僕は失礼するよ。」


大鳥は踵を返した。


部屋の中には土方と名前だけが残された。










名前はゆっくりと土方の机へ近寄る。


「…お久しぶりです。」


土方はじっと名前を見つめる。


そして口を開く。


「…どうしてお前がここにいる…。」


厳しい口調だった。


名前は決意を込めた表情で


「…戦に来ました。」


そう言う。


土方は益々苦い顔をした。


「…女が戦なんかするもんじゃねえ!第一、戦は遊びじゃねえんだ…帰れッ!」


土方の怒号が飛ぶ。

でも名前はそう言われるような気がしていたし、覚悟はしていた。

だからぐっとこぶしを握り締めて言葉を返す。


「今の私は女ではありません。ですから戦わせて下さい!」


「駄目だ…!お前は戦わせられない。」

「お願いします!…私はこの日の為に修行してきました。…土方さんもご存知の通り、私は鬼です。ですから必ずお役に立てるはずです!」

名前は必死に訴える。

すると土方は立ち上がった。


「…駄目なものは駄目なんだよ。例えお前が隊に入れたとしても、俺はお前を使わない!」


そう言い放つと、扉の方へ歩いて行く。


名前は土方が自分を通り過ぎるのを半ば絶望的な気持ちで見ていた。


…でもやっぱり、諦められない。


名前は扉に手をかけた土方の背に抱きついた。


「土方さん…!お願いです!…私を一緒に戦わせて下さい!」


「……」


土方の動きが止まる。


そして数泊の後、
名前の体勢は反転し、壁に手首を押しつけられていた。


土方は名前を睨みつける。


「…お前、自分が女じゃないと言ったな。…なら俺から逃げてみろ。出来ねえようなら、大人しくここを去れ。」

その言葉に名前は力いっぱい土方の手を押し返す。

しかし、びくともしない。


「…っ………んっ…!」


名前も土方を睨み返す。


しかし土方の表情は全く動かない。




互いに本気だった。


お互いの心と心がぶつかりあっているのだ。




この人に会うことをあれほど望んでいたのに…こんなに近くにいるのに…あの時と同じように、そこにあるのは、諦めるという選択肢。


…嫌だ…!ここまで来て何もできないなんて。…もうあの頃の私じゃないんだ!


「うああああ!」


名前の髪がみるみる白く染まり、額からは鬼を示す角が四本生える。


土方は大きく目を見開いた。


名前の力によって、土方の手が少し押される。


土方は更に渾身の力で名前の腕を抑えつけにかかった。



鬼の力を持ってしてでも彼の力には敵わなかった。


「う…っ…」


名前の目から涙が流れ、髪は黒くなり、角が消える。


「…お前…どうして戦わせてくれないのかと言ったな…。」


土方はかすれた声で言った。


「…なら、俺もお前に聞く。…どうしてお前は俺の命に従わねえ?どうして俺の言うことを聞いてくれねえんだ…!」


その言葉に名前は大きく目を見開いた。


どうして…?

そんなの決まってる。


「私が…土方さんのことを好きだからです…!あなたの側にいたい…!あなたの役に立ちたい…!私はただそれだけを願って…」

その時だった。

突然手首の拘束が解かれ、気づけば私は土方さんに抱きすくめられていた。


「…ったく…お前って奴は…」


馬鹿な女だ。と消えそうな声で土方さんは呟いた。


「お前は考えたことがないのか?俺がかたくなにお前を戦線から遠ざけようとした理由を。」


「…それは私が役立たずで邪魔な存在だから…」


「違げえよ。」


土方ははっきりと否定する。


「…ったく、ホントお前は鈍感だな。…それはな、俺がお前のことを好きだからだ。お前に傷ついて欲しくなかったし、お前に辛い思いをさせたくねえからな。…好きな女を守りたい。…そう思うのはあたり前だろ?」


名前の目が大きく開かれる。開かれた目から涙が零れおちる。


「…う……そ……」



土方さんが私を好き…?


頭がうまくその意味を処理できない。


「…それは性質の悪い冗談ですか…?」


名前の言葉に土方はふっと笑う。


「こんな状況で嘘をつく奴がいるかよ。」


「でも…」


それでもまだ信じようとしない名前を土方はギュッと抱きしめる。


「好きだ。名前。」


土方は名前の耳元で、確かにその言葉をささやいた。


「…ひじかた…さん…」


涙が益々あふれ出す。

嬉しすぎて涙が止まらない。


土方は腕を緩めて、そっと名前の頬に手を伸ばす。


「おいおい。そんなに泣くこたあねえだろ?」

涙の後を優しくなぞって、目じりの涙を指で掬う。


「…すいませんっ…嬉しくて…つい…っ」


すすりあげてか肩を揺らす彼女の姿に土方は苦笑する。


「お前、男なんだろ?男は人前で泣くもんじゃねえ。」


土方の言葉に名前は洋服の袖でグイッと涙をぬぐい、顔を上げた。


しかしその顔はまだ歪んでいる。


そんな名前を見て、土方は小さく笑い、彼女の頭に手を乗せ、優しく撫でた。


「…まあ、俺から見たら、お前は女以外の何者でもねえけどな。」

その手は肩先で切られた名前の髪へと下っていく。


「いくら髪を切ったって、俺にとってお前はただの女だよ。」


――名前の視界が涙で歪んだ――


再び泣き始めた名前の頭を、土方は自分の胸に押しつけた。

そして腕を背中にまわし、あやすように撫でる。


「……ったく…。」

土方は苦笑しつつも彼女の背中を撫で続けた。



――こうして名前やっとのことで土方と共に、闘うことを許されたのであった。――


そして、程なくして箱舘―五稜郭にて戦が始まった。










「名前さん、こっちへ来て下さい!」


「はい!」


「名前さん、こちらもお願いします!」


「はい…!」


幕府軍の救護詰所。名前はせわしなく怪我人の治療にあたっていた。


おびただしい数の怪我人が次から次へと運ばれてくる。


ひどい光景に目を覆いたくなるほどだったが、名前は必死に治療する。


「名前さん!」


その時また、切迫した声が飛んできた。


顔を上げると向こうから慌てた様子で、島田さんが走ってくる。


戦場で戦っているはずの彼が、どうしてここにいるのか…


…嫌な予感がした。


「どうかなさったのですか?」

「土方副長が…」


土方という名を聞いた瞬間、名前は立ち上がっていた。


「どちらにいらっしゃいますか?」


「ついてきて下さい。」


名前は島田の後について、詰所をでた。




銃撃の音を傍らに聞きながら走る。

この間にも誰かが傷ついているのだと思うと、胸が痛い。


島田さんはどんどん走っていき、着いたのは林の中。


そこに土方さんの姿があった。


気にもたれかかって苦しそうに肩で息をしている。


「土方さん!」


私は思わず声を上げ土方さんに駆け寄った。


体を見れば血まみれで、実に痛々しい。


そして、ある異変に気がつく。

髪は白く、額からは角が生えている。

これは…


「もしかして…土方さん…羅刹になったんですか?」



「…………」


土方さんは答えなかった。


「……ええ……。」


代わりに、島田さんが答えてくれる。


…まさか、土方さんまで羅刹になっていたなんて。


「…う…うう……」


土方さんが苦しそうに低く唸った。

私はかがんで、彼の体を詳しく見てみる。


無数の刀傷と、腹部に一発の弾痕がある。


普通の羅刹ならば傷はすぐに治るはずだ。

しかし…土方さんの傷は治っていない。

体からは大量の血が流れている。


それはつまり、羅刹の力が落ちてきているということ…。


このままではまずい…。

私は手ぬぐいで傷口を押さえ、傷のひどいところには布を当てたり、包帯を巻いたりする。


「私は向こうを見張ってます。」


島田さんはそう言うと、その場を立ち去る。


「…う……」


土方さんはなおも苦しそうに息を乱している。


「今、応急処置をしていますから…っ。もう少し頑張ってください…!」


土方さんの姿を見ながら、苦しくて、泣きそうになる。

でも涙をこらえて、必死に治療する。


「…う…うぁ…あああ…!」

すると突然、土方さんは何かを抑えつけるように、胸元を鷲づかんだ。

「どうなさったんですか…?!」

私は心配で声をかけるけれど、


「…俺から…離れろ…!」


土方さんは絞り出すような声でいい、私を自分から遠ざけようとする。


「どうして…」

「いいから離れろ…ッ!」

土方さんは目を見開いて私に訴えた。

私はびくっと身じろぐ。


これはもしかして…


…前に先生に聞いた


「羅刹の…吸血症状…」

そう。羅刹は人の血を欲するらしい。


そして、それは潤を知らず、血を吸わない限り、満たされず、また定期的に摂取しないと、飢えてしまうという。


だが、特に鬼の血にはその吸血症状を抑える力があるらしい。


私はグッと決意をして、土方さんに近づく。


「土方さん。私の血を飲んでください…!」


土方さんの目が驚きに揺れた。


「…ばかやろ……てめえの血なんていらねえ…」


「なに言ってるんですか…!そんな体では…死んでしまいますよ…っ?」


「…大丈夫だ…。俺は死なねえ…。」


「この期に及んで大丈夫、だなんて言わせません…!…私が何のためにここへ来たと思ってるんですか!…あなたを…助けるためです…!」


私は土方さん叱咤した。

そして…

腰にさしていた刀を抜くと、迷いなく自分の腕を切った。

傷口から血が流れる。

私はそれを口に含むと、土方さんに口づけをした。

土方さんの方に血を送ると、土方さんの喉がごくりと鳴る。


ゆっくりと唇を離すと、私はもう一度血を口に含もうと、自分の腕に口を持って行く。


その時、その行為を制止するように土方さんの腕が私の腕をつかんだ。


そして、力強く腕を引かれ、私は土方さんに背を向ける形で、彼の腕の中に収まった。


それから土方さんは私の握っていた刀を手に取り、それを私の首筋にあてがう。


「……すまねえ……」


切なげな呟きが聞こえ、その後すぐに首筋に鈍い痛みが走る。


次いで、生暖かい土方さんの舌が這う。


「ん……っ…」


少しずつ血が吸い上げられていく感覚に体が震える。


土方さんが触れている所が熱い…。


こんなにも夢中で血を啜る姿から、彼が今までいかに飢えていたかが伺える。


「……っ…は…っ…」


時々聞こえる吐息に、顔が熱くなる。



しばらくすると土方さんが首筋から口を離した。


後ろを振り向くと、彼は手の甲で口元に付いた血を拭っている。


その仕草に思わずドキッとしてしまう。


「…大丈夫ですか…?」


土方さんの体を看ながら、声をかける。


「…ああ。…もう大丈夫だ…。」


先ほどよりは、幾分か生気の宿った声が返ってきた。


確かに顔色も良くなったし、傷も塞がったようだった。


「では、早いうちに詰所まで戻りましょう。」


あまりここに長居はできない。

いつ新政府軍に見つかるかわからない。


「…そうだな…」


土方さんは腰を上げようとするが、ふらっとよろける。

私はとっさに、その体を支える。


すると、土方さんは苦笑する。


「…ったく、お前には頭が上がらねえな…。」


私は言葉を返す代わりに、微笑んだ。










私達はできるだけ急いで林の中を駆ける。


土方さんの体を気遣いながら、また周りを警戒しながら、できるだけ急ぐ。



その時だった。


「そこの者!止まれ!」

後ろから険しい声が聞こえてきて、私達は足を止めた。


振り返ると、そこには新政府軍の兵士が数人いた。


さっと血の気が引く。


負傷した土方さんと、女の私。


いくら島田さんがいるとはいえ、この状況を打破するのは難しい。


「…チッ…」



土方さんが舌を打つ。



島田さんが兵士と私達の前に立ちはだかり、すらりと刀を抜いて立ちはだかった。


「私が時間を稼ぎます。ですからお二人はお逃げ下さい。」


彼は凛々しく告げる。


私は目を見開いた。


「…そんな…っ…。1人でなんて…」


「…わかった。…名前、行くぞ。」


「土方さん…!?」


土方さんはあっさりと島田さんの言葉を受け入れてしまった。



ここで島田さんを置いて行けば…


彼の命は失われてしまうかもしれない…


そんなの…


「島田さんを見捨てるんですか…っ?」


私はそう口にしていた。


「…違う。…俺たちは…俺は…生き残らなけりゃいけねえんだよ…!…ここで死ぬわけには…いかねえんだ…。」


土方さんの苦しそうな顔に、自分の失言に気付く。


そうだ。


この決断が、土方さんにとって苦しくない筈がないのだ。



島田さんは土方さんを信頼している。


土方さんも島田さんを信頼している。


お互いに“新選組”を守りたい、誠を貫く為にここまで戦ってきたのだ。


だからこそ、今私達はここから逃げなくてはいけない。


ここで死ぬわけにはいかないのだ。



私は歯を食いしばって頷いた。



それを見た島田さんが優しく私に微笑む。


「副長を頼みます。」



――胸が一杯になった。――


私は込み上げる涙をこらえて精一杯笑顔を作った。



「さあ、行って下さい!」


その言葉を聞いて、私達は駆け出した。


「奴らを追え!」


兵士の声が聞こえた。


「はあああ!」


島田さんの唸り声が聞こえる。


戦闘が起こっているという空気を感じて、私は後ろ髪を引かれる思いがした。


でも



「振り向くな…!」


土方さんの叱咤を受け、私は振り返らず、ひたすら走った。






どれくらい走っただろうか…。


兵士達から逃げるために、林の中を迂回していたら、迷ってしまったのか、見知らぬ道を走っていた。


少し開けた所で私達は足を止めた。



頬を何かが掠めて、私はふと顔を上げる。


すると、目の前に広がるのは…


満開の桜の木。


あまりの美しさに、しばらく何も考えられなかった。


「…随分と遅咲きの桜だな…」


隣の土方さんをふと見やると、和やかな表情で自分と同じように、桜を見上げていた。


「箱舘は寒い所ですから、開花が遅いのかもしれないです。」



「それにしても、遅くはねえか?」


土方さんは苦笑する。


今は4月の下旬。


確かに遅いかもしれない。


「…綺麗だな…」


ぽつりと土方さんが呟きを漏らした。



戦の最中だということを忘れてしまいそうな程見事だった。



こんな時でも心穏やかにさせるなんて、この桜は凄いと思った。



――しかし、穏やかなる時は、刹那だけだった。――



「こんな時に花見か?随分と余裕なのだな…。」


聞き覚えのある声に名前は横を振り向いた。


「…風間…!」



土方は眉間に皺を寄せ、西の鬼の頭領・風間を睨み付けた。


「…なんでてめえがここにいる…!」


「何故…とは愚問だな。今は戦の最中。どこに敵が潜んでいようと、おかしくはないだろう?…尤も、俺がお前たちを見つけたのは偶然だがな…。」


最悪の状況だった。


二対一とはいえ、完全にこちらの歩が悪い。


しかし、出会ってしまった以上、戦わない訳には行かなかった。


土方さんはゆっくりと刀を抜き構える。


それを見た風間さんは、薄い笑みを浮かべた。



「ふん…その体で俺に立ち向かおうという気骨は認めてやろう。だが…」

風間も刀を抜く。


「無駄な抵抗に変わりはないがな…。」


「そりゃ…やってみなけりゃわからねえだろ…!」


土方はぐっと刀を握りしめた。


「名前。下がってろ…。」


「…でも…っ」


「いいから下がってろ…!」


鋭い土方の声に、名前は口を噤んで後ずさりした。


二人はお互い睨みあう。


しばらく沈黙が続く。



先に、動いたのは土方だった。


地面を蹴って、勢いよく風間に切りかかる。


「はああ!」


風間は静かに剣を受け止める。


素早い刀の応酬が繰り広げられる。


ギリギリと鍔迫り合いになる。


「…フン。なかなかやるではないか…!」


風間は思い切り、土方を突き飛ばす。


「グッ…」


土方はその衝撃で地に膝をついた。


すぐさま風間が上から切りかかる。


土方はかろうじて剣で受け止める。


「どうした。もうくたばったか?」


風間はすさまじい速さで土方に切りかかる。


「う…っ!」


土方の腕が切りつけられる。


「はああ!」


風間は思い切り振りかぶって切りかかろうとした。


その時だった。


カキンッ!


その剣を受け止めた土方さんの髪の毛は白く、額からは角が生えている。


土方は羅刹化した。


「うおおおおッ!」


土方は唸り声を上げて、思い切り刀を押し返した。


今度は風間の体勢が崩れる。


土方はその隙を見逃さず、素早く懐に入った。

腹部を一突きする。


「ぐっ…」


急所を狙ったが、わずかに体を反らされる。


しかし確実に体に当たり、風間の体から、血が流れる。


風間は刀で傷つけられた部位を押さえながら、憎々しげに目を見開いた。


「…この…まがい物の鬼風情が…ッ!」


みるみる風間の髪が白く染まり、鬼の証しである四本の角が生えた。


ガンッ


鈍い音がして、風間の剣を受けた土方の刀が折れた。


次の剣が襲ってくる前に、土方は二本目の刀を抜く。



――二人の力はほぼ同等だった――


「は…は…は…っ」

「…っ…は……はぁ…」


二人は呼吸を乱れさせて、しばし動きを止める。


互いに血まみれで、もうギリギリの状態といえた。










「うおおお!」


「はあああ!」


再び剣がぶつかりあう。


その時だった。


ドクンッ


体中がそう脈打つ感覚に土方は目を見開いた。

強い胸の締め付けに、よろめく。


「う…っ…!」


それを見た風間は盛大に嘲笑した。


「まがい物には限界が来たようだな。」


ゆっくりと刀を引く。


「さらばだ…土方歳三…!」


風間は口元を引き上げて言い放ち、刀を思い切り突き出した。



グサッ


皮膚に刀が刺さる生々しい音がした。


しかし、土方はその衝撃が自分のものではないことに気づき、瞬時に驚いた。


そして…


目の前に広がる影に、目を見開いた。


「…名前…ッ!」


そう。


刀を身に受けたのは、後ろで戦いを見ていたはずの名前だった。


「…おまえ…ッ」



頭がついて行かなかった。


というよりは、理解したくないと、この状況を受け入れることを拒んでいた。


そして次の瞬間


「うぐっ!」


風間のうめき声が聞こえてくる。


名前は土方を守るとともに、自分が風間の剣を受けることによって、彼を動けなくし、渾身の力で、彼の腹部に剣をつきたてたのだった。


「はあ…っ…は…っ…」


絶え絶えで苦しそうな息が聞こえてくる。


「貴…様……っ」


風間は名前から思い切り剣を抜き、己の腹に刺さった剣も抜くと、後方へ距離をとった。


どさりと、土方の体に名前が倒れ込む。


土方は、彼女の体を受け止めた瞬間に、それが現だったのだと、認識する。


「…なんで出て来たッ!」


怒鳴りつけても、彼女は答えない。


「……おい…なんとか言えよ…!」

体を揺するが、彼女から返答はなかった。


「……おい…名前……名前…!」


「……ひじ……か…た…さ……」


すると、ようやく彼女は薄く瞼を開けて。返答した。


「…しっかりしろ…!…死ぬんじゃねえぞ…!」


「だい……じょうぶ…です……」


名前はそう言って、淡く微笑んだ。


土方は痛々しく苦笑した。


その顔は今にも泣きだしそうだった。


「…ばかやろう…。…何が大丈夫だ…」


土方は、優しく彼女を地面に横たわらせると、剣を手にして、立ち上がる。


向かいで、風間も立ち上がる。


「そろそろ…決着をつけなきゃいけねえみたいだな…。」



互いに、限界をとうに超えていた。



「…………」



風間は無言で刀を構えた。


土方も刀を構える。


「うおおおおおッ!」


「うあああああッ!」


地を蹴ったのは同時だった。



――次の瞬間、決着はついていた――


腹に剣が突き刺さっていたのは


風間の方だった。


苦しそうに顔を歪めた後、ふっと風間は微笑む。


「…まがい物でも貫けば真になる……か…。…俺はそれを認めねばならんようだな…。……お前に鬼としての名をくれてやろう……。」




名前は、薄れゆく意識の中で、二人の姿を見ていた。


「…薄桜鬼…だ……」


はく…おう…き…


風間さんの言った言葉が頭の中に響く。


なんて綺麗な響きなんだろう。


本当に土方さんにぴったりだ。



霞んでいく視界の中に、最後に映し出されたのは、


恐ろしいほどに美しい桜吹雪の中に佇む、


私の愛した鬼の姿だった…。








――――‐‐‐…


目を覚ますと、木目の天井が見えた。


「…起きたか…?」


次いで聞こえてきた声に、名前は瞠目した。


「…ひ…か……さん…」


声の出し方を忘れてしまったかのように、思うように声が出せない自分に驚いた。


目をぱちくりさせる名前に、土方は苦笑する。


「無理もねえな。お前、一か月も眠り続けたんだからな。」


優しい土方の声音に、名前は顔を歪めた。


「……よか…った…」


その言葉を聞いた土方は眉間に皺を寄せた。


「何が良かった、だ。まずはてめえの心配をしろ。」


そう言って、自分の為に叱ってくれる土方がなんだか懐かしく感じられて、名前はふっと微笑んだ。


「…ありがとうございます…」


土方は、面食らった。


全く、コイツにはつくづく敵わない。


「…礼を言わなきゃならねえのは俺の方だろ。…あの時は、ありがとな。」


「いえ…。…何しろ私も夢中でしたから…。土方さんを護りたい…。その一心で…」


「ったく、女に護られるたあ、俺も情けねえな。」


「そんなことありません。私は今までに沢山土方さんには護ってもらってましたから。ですから、これでおあいこです。」


土方は笑った。


あれでおあいこかよ、と言いたかったが、彼女は満足しているらしいし、結果として彼女は生き延びた。


これ以上あの時のことをあれこれ言うのは、無粋だと思えた。



「お前がそう言うなら、いいんだけどよ…。」



しばし、沈黙が走る。


少しした後、言いずらそうに名前が口を開いた。


「…戦はどうなりましたか…?」


土方はすぐに口を開こうとしたが、声が出ずに、一度口を閉じ、苦笑した。


そして再び口を開く。


「…負けたよ…。」


その一言はものすごい重みを伴って名前の心に落ちた。


「そうですか…。」


名前は暗い顔をする。


そんな名前を見て、土方は微笑んで見せた。


戦が終り、自分と彼女が生き残った時、彼はある決意をしていた。


「…名前。…一緒に暮らそう。」


彼の口から突然放たれた言葉に、名前は、目を点にした。


ぽかんと口を開ける彼女に、土方は言葉を続ける。


「…俺たちは、新選組の志の為に戦ってきた。…近藤さんが作り上げたこの新選組を護るために戦って来たんだ。…でも、近藤さんが死んで、俺たちは幕府と、政府のでっけえ戦に巻き込まれて…俺は正直、何を信じて、何のために戦っていたのかわからなくなってた。でも、そんな時、お前が来てくれた。…お前を護りたい…。そんな俺の自分勝手な思いが、お前を苦しめていたんだと、あの時、お前に気づかされた。…あの時から、俺の信じる者はお前になった。…側でお前を護りたい…。お前の為に戦いかい…そう思ったんだよ。」


土方の口からゆっくりと紡がれる言葉に、名前はただただ静かに耳を傾けていた。


「…それで、戦が終わってから俺は決意した。…今までは、新選組の為に生きてきた。でもこれからは名前の為に生きていこう、ってな。」



優しく微笑む土方に、名前は赤面した。


好きな人に、そんな風に言われたら、誰だって顔が熱くなるはずだ。


「…だから、一緒に暮らそう。…お前も分かっているとは思うが、俺はもういつ消えるかわからねえ身だ。…だけどこの身が朽ち果てるまで、せめてこれから残りの人生は、すべてお前に捧げる。」


真っ直ぐで、深い瞳が、真摯に語っていた。



名前は土方の首に手を伸ばす。


起き上がろうとしている事に気づいた土方は、名前の体を抱き起こした。


名前はそのまま、土方に抱きつく。



「…私も…これからの人生は、土方さんに捧げます…。」



土方は、名前の体をぎゅっと抱きしめた。


「…愛してる…名前。」


「…愛してます…土方さん…」


2人は見つめ合う。


土方はゆっくりと名前の唇に近づき、そっと重ねた。


甘く、深い口づけは、まるで、将来を誓い合うかのようだった。






人は、1人じゃ生きていけねえんだ。


信じる物を失った時、俺には、“愛する者”が現れた。


それは、欲しくても、自ら突き放していた存在。

諦めようと見捨てた存在。


でもそれが自分の独りよがりな考えだと気付かされた。


“愛する人を護りたい”

その気持ちは、男だろうが女だろうが変わらねえんだと教えてくれた。



お前には、本当に感謝してる。



ありがとう。



それから…


愛してる…。









護りたい気持ち





*END
キリリク 武長美哉様から
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -