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祝杯の真似事の炭酸ジュースは向かいに座る男の片目と同じ色をしている。乾杯をしようとその細いグラスを持ち上げてみたものの、その場に相応しい挨拶が思い付かなかった。何せ今から祝おうとしているのはフロイドがエースから部活の休憩時間に聞いてきたという未知の文化で、フロイドでさえリドルにそれを伝えるまでに三回は名称を忘れたり思い出したり、面倒くさがったり面白がったりを繰り返し、昨日になってやっとパーティーをしようと持ちかけてきたのだ。 美しい秋の日に、二人はハーツラビュルの美しい庭の迷路の奥、きれいに整えられた薔薇の木の下でガーデンテーブルを囲んで向かい合っていた。涼やかな風がフロイドのピアスを揺らし、リドルの首元をくすぐって去っていく。伸びやかな、とても中立的な風だった。 「ボクの誕生日でもキミの誕生日でもないのだから、なんでもない日おめでとう、になるのかな?」 「えー? なんでもない日では無いんじゃないの? カニちゃんの話だと一応記念日みたいなもんらしいし」 「そうか……えぇと、何て言ったっけ」 「まんなかバースデイ」 「まんなかバースデイ……」 フロイドの大きな口から出てきた耳馴染みのない言葉を咀嚼するように何度も呟く。今日はリドルとフロイドの誕生日のちょうどまんなかの日なのだという。世の恋人同士はそういって二人の記念日を設けるのかと感心した。今朝、寮の談話室で出会ったデュースに何気無しにその話をしたときに彼はその文化を知らなかったようだから、どこまで一般的なものなのかはわからないが。誕生日以外を祝うことにすれば年に364日パーティーができると毎日ティーパーティーを開いていたという伝説の気狂い帽子屋たちの話と似ている(彼らが実際に誕生日を祝わなかったのかは記録に残っていない)。パーティーをしたいから、なんでもないただの日を記念日にするのだ。例えば自分の誕生日でも恋人の誕生日でもない、そのちょうどまんなかの日を。 昼と夜の長さがちょうど同じになるのは春分と秋分だ、とリドルは連想する。真東から登った太陽が空を半分にわけるように移動して、真西に沈む。バースデイケーキを切り分けるように。そこまで頭の中で結びついたところでようやく今日の祝辞に相応しそうな言葉を思い付いた。きっとケイトならこう言う。 「どこかの誰かさん、ハッピーバースデイでどうかな」 「ふぅん、いーんじゃん」 グラスを持ち上げると、フロイドもそれに倣った。顔の高さまでグラスを持ち上げ、彼はゆらりと首を傾げる。 「ハッピーバースデイ、どこかの誰かさん」 「ハッピーバースデイ」 「ところで、バースデイパーティーというのはどういう作法ですればいいんだろう」 「さァ、作法なんて無いんじゃね、必要なモノだけあれば。……ってことでぇ、プレゼントもサプライズも無いけどぉ、俺がつくったタルトがあるんだぁ、赤くてつやつやのやつ」 「それは素敵だね」 期待に声が大きくなってしまう。普段はトレイが拗ねるのであまり他のタルトを食べる機会が無いが、”赤くてつやつやの”タルトはリドルの好物であったし、恋人であるフロイドが稀に気紛れでつくってくるスイーツはどれも芸術的に美味しかった。浮かれているのを誤魔化すためにリドルは何度か咳払いをしてみせた。 「きっとどこかの誰かもタルトは好きだろうから」 「金魚ちゃんは?好き?」 「ウン、好きだよ」リドルが言うと、 「あは、俺も好き」 フロイドは満足そうに笑った。目尻を蕩かせて笑う表情は天使のようにチャーミングだとリドルは思う。 そのとき、ちょうど迷路の奥からワゴンを押した彼の兄弟が現れた。彼らは鏡に映したように対称で、端から見れば魂がつながっているように思える。ジェイドは大理石のように整った笑みを浮かべて、二人に紅茶をサーブしていく。 「すまないね、ジェイド」 「他でもないフロイドとリドルさんのためですから」 「ありがとぉ、ジェイド」 彼はテーブルの上に大きな苺のタルトの皿をひどく上品な仕草で差し出して去って行った。薔薇のように赤いタルトは美しく、辺りを甘酸っぱく薫らせる。それはまったくうっとりするような出来だった。 「どこかの誰かって誰だろうねぇ」 (秋分の日の太陽が空を半分に分けるように)タルトを大きく切り分けながら、フロイドは言う。 「ボクでもキミでもない誰かだよ」 「ちっちゃくも、大きくもない誰か?」 「そう……それにボクはちっちゃくない。背はこれから伸びる予定なんだ」 リドルはじとりと目の前の長身を睨みつけたが本人はへらへら笑ってタルトのピースを押し出した。歴史の重なりのように緻密で無駄のないカスタードの層の上で苺は赤くつやめいている。どうぞ、と言われて仕方なくフォークを握り直した。いただきます、と最初の一口を切り分けて口へ運ぶ。今まで食べたことがないくらいに幸福な甘さがリドルの小さな口内に広がる。映画のように劇的で、音楽のように美しい。リドルが顔を綻ばせるのを見ながらフロイドも自分のために切った一ピースにフォークを刺した。 「どこかの誰かは苺でも、タルトでもないでしょ」 「人魚でも、人の子でもない」 「怒りんぼでも、気分屋でもない」 「カラスでも、書き物机でもない」 「なァに? それ」 「なんでもない、ただのなぞなぞだよ」 「ふぅん」 ──それでは私もたった一つの謎を出そう。私の名は誰も知らないはず。明日の夜明けまでに私の名を知れば、私は潔く死のう。 フロイドはふざけて音楽の合同授業で映像を観たオペラの台詞を諳んじてみせた。オペラが書かれた当時の、今は失われた古代言語だ。授業の間、フロイドがいつになく楽しそうにその歌劇を見入っているのをリドルは盗み見ていた。随分楽しそうだったね、と聞けば"物語の中の王女が次々男の首を撥ねていくのが面白かった"と返された。 歌劇の中で、首を撥ねる王女に恋をした男は彼女に挑戦を持ちかける。その名前を言い当てることができるか。ラストシーンで王女は初めて"それ"の名前を呼ぶ。……誰も名前を知らないもの、カラスでも書き物机でもない、リドルでもフロイドでもないもの。 「……そうか、"愛"が生まれた日か」 ポエティックだけれど悪くない、とタルトをまたひとかけら食べる。返答が無いのを不思議に思って向かいに座ったフロイドを見ると、彼は整った顔を真っ赤にして瞬いていた。 「フロイド、どうかした?」 「えっとぉ…………なんでもない」 人魚は皆救い難くロマンチストで、その時フロイドはリドルが何気なく呟いたその熱烈にもとれる言葉に照れていたのだとアズールから教えられるのは、太陽がもう少しフロイドの誕生日に傾いた頃のことだった。
2020.09.30 happy unbirthday to us !
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