可愛い恋人が身支度を整えていくのを見るのが好きだった。

するするとベッドを抜け出すアズールの背中をブランケットにくるまったまま眺める。
しなやかな筋肉のついた少年の体は彫刻めいて美しい。昨夜その体がイデアを受け入れて散々甘やかしていたことを思い出すとたまらなくなった。ベッドの上をうつ伏せのまま這って、細い腰に抱きつく。真珠層の輝きに似た銀の髪がふわふわと揺れた。髪を下ろしているとひとつ年下の恋人はいくらか幼く見える。

「ふふ、今日は随分べったりじゃないですか」
「だって君が可愛いから」
すべすべでもちもちの肌に頬を擦り寄せるとアズールはくすぐったそうに身動ぎした。
「支度ができませんよ」
「はいはい、アズール氏は彼氏を置いてどこの馬の骨とも知らない奴と食事なんだもんね」
「もう、拗ねないでください」

そう困ったように笑ってアズールは昨夜脱ぎ捨てた服を拾い集めた。脱がせて放り投げたままにしていたのはイデアだったが、アズールはイデアの部屋着も拾い上げてベッドの上に放ってくれる。部屋の入り口あたりまで飛んでいたイデアの下着をアズールが笑いながら放り投げてきて、仕方ないのでずるずると履いた。バレンシアガとリンゴ三つ分の身長のネコチャンのコラボ商品なので勝負下着と言えなくは無い、一応。
日曜日の今日もたくさん一緒に過ごせると思っていたのに、可愛い恋人は昼に学外でOBと会食だという。その予定を聞いたときは隠しきれない苛立ちで髪が激しく燃え盛ったし、何としてでも阻止してやろうと思ったが、アズールがあのマフィアみたいな副寮長を連れて行くと言っていたのでしぶしぶ折れたのだ。とはいえあわよくば、仕方ないですねとか言ってこのまま部屋で一緒にだらだら甘やかすルートを採ってくれないかと思ってしまう。
ブランケットを肩に被ったままベッドを這い出して、アズールの白い背中を抱きしめた。後背位で交わるときによくするように、襟足やつくりたてみたいな耳殻を甘噛みする。手のひらでなめらかな胸を撫で回すと、どこもかしこも弱いアズールはそれだけで鼻にかかった吐息を漏らした。

「ん、こら、駄目ですよ」
「……本当に駄目?」
「困った人ですね」

アズールが余裕そうにしているのはこうしてイデアが焦れているのを楽しんでいるからだ。可愛くて、憎らしくて仕方ない。イデアもスマホ広告の漫画のように粘着質な自覚はあったが、麗しい恋人氏も大概嫉妬深いことを知っている。逆の立場だったら何としてでも食事会を阻止するか自分の同席を狙ったはずだ。今もこちらを振り返ったアズールはイデアの鎖骨あたりに残した熱烈なキスマークをなぞって満足そうに微笑んだ。さすがに今は手を遣らないが、脚の付け根のかなり際どいところにも鬱血痕が散っている。

「僕はこんなに貴方に夢中なのに、信用されてないんですね」
切なげな上目遣いで言われて、かわいそぶるための演技だとわかっていても慌ててしまう。
「そういうことじゃないよ」
「本当ですか?」
「もちろん信じてるけど……可愛いアズール氏をもうちょっと独り占めしたかったなってそれだけ」
すべすべの体を抱きしめながら素直に呟くとアズールは明らかに嬉しそうに目を輝かせた。

「……可愛いひと」

自分がどんな表情をしているのかわかっているのだろうか。肌を触れあわせながらそんな目で見上げておいてお預け、なんて残酷なことをする。イデアは心の中で信じてもいない神の名前を呟いた。
アズールは鼻歌でも歌い出しそうな調子でイデアのに軽いキスを落とし、拾い上げたシャツのボタンを順番に留めていった。白い肌が見えなくなるのは残念であったがはやく仕舞ってもらわないと襲いかかりたくなってしまう。シンプルだけど際どい下着に脚を通して、イデアの部屋に置いていたストックの靴下にソックスガーターを留める。シャツの裾から覗いた白い内腿に、赤黒いキスマークが浮いていた。昨夜脚を折り曲げてその体にのし掛かったとき、興奮して半ば噛みつくようにして付けた覚えがある。……イデアはぶつぶつと素数の二乗を小さい順に唱えた。
アズールはくすくす笑って、引き寄せた寮服のジャケットからコロンのアトマイザーを取り出した。
「……待って」
イデアはアズールの背後から抱き込むように座って、デスクに転がしていた香水瓶を引き寄せた。
「これじゃ駄目?」
持ち上げて見せたパルファムはイデアが部屋の外に出るときに──飛行術の補習だとか購買に行くとかではなく、つまり主にアズールと会うときに──使っているものだった。スパイスと暗闇で燻る炎の香りがする。今日はこの恋人に自分の気配を纏わせておきたかった。
冬の海の色をした瞳を窺うと、アズールは「僕の好きな香りです」と悪戯っぽく笑って、イデアの首筋にじゃれついた。シャワーを浴びて寝たから実際にはその香水のにおいはしないはずだが、言いたいことはわかる。どこまでも人を惹きつけるのが上手い。仮にも彼氏としてはどうかその能力は自分の前でのみ発揮してほしいものだと願うけれど。
イデアの膝の間で、アズールは器用にその内腿を晒した。

「ここに、イデアさんの、かけて?」
「ねえ、わかって言ってるでしょ……」
「んふふ」
誘われるまま、白い脚に香水を振りかけてやると彼はひどく官能的な深呼吸をした。長い銀色のまつげを伏せて、熱っぽい息を吐く。
「はぁ、僕……これ好きです」
「……僕だって君に夢中なんだよ」可愛い耳に囁きかけると、腕の中で振り返ったアズールに唇を喰まれた。
「……知ってます」
ふわふわの髪に指を差し込むと、気怠くあまい雰囲気に口付けが深くなる。濡れた舌を絡めて、そのあまさに頭がくらくらした。もっと深く交ざりたくて体を擦り寄せると、蕩けていた目を瞬かせてアズールが不満らしい声を上げた。
「……駄目ですよ」
「ぴえん……けち」
「すけべ」

イデアの体を押しのけて、アズールは脱ぎ捨てられていたスラックスを魔法でプレスしてから引き寄せた。もう少しで流されてくれそうだったのに、今日の会食でかけられる話題は余程恋人氏が欲しているものなのだろう。
仕方ないので、イデアはベッドの上で背中を丸めて、恋人が服を身につけていくのを眺めることにした。太腿に着けたシャツガーターでシャツの裾を引き、スラックスが美しい少年の脚を隠すのを、慣れた手付きで後ろ手にサスペンダーを留めていくのを見ている。それはあまりに出来すぎた映画のシーンみたいに見えた。さっきまでキスで蕩けていた自分だけの人魚ちゃんが、服を着込んでいくたびに泣く子も黙るオクタヴィネルの寮長へ変わっていく。イデアはかつての王女が預言者の首を求めて踊ったという七つのヴェールの踊りというものを連想した。恋人は肌を隠していくさまもひどくセクシーだった。

「イデアさん」
「はいはい」

カマーバンドの背中のフックも勿論自分で留められるのだろうけど、アズールはイデアの部屋で寮服に着替えるときいつもこれだけはイデアにやらせてくれた。括れたウエストで左右の金具をとめると、ゴージャスでいながら洗練されたシルエットが完成する。

「はい、できた」
「ありがとうございます」

こちらを振り返ったアズールから顳にお礼のキスと美しい微笑みを受け取る。ボウタイがウイングカラーを禁欲的に留め、桜貝の爪は手袋に隠れた。ジャケットに袖を通したアズールが柔らかくうねる髪を撫で付けて、完璧な角度でハットを被る。

「完成?」
「完成です、いかがですか?」
彼がその場で一回転してみせると、持ち主の肩に掛かったコートとストールがふわりと計算尽くされたカーブを描いた。
「はぁ……僕の意見聞いたって、推しフィルターかかってるから贔屓目でしか見れないよ」
「なんですかそれ、称賛してくれていいんですよ」
「僕のアズールは最高にホットでセクシーだよ……今すぐ全部引っ剥がしてやりたい」
どうしたって恨みがましい声色になってしまうのに、アズールは声を上げて笑った。それからイデアの顎を指で持ち上げて、うっとりとした目付きで囁いた。

「いい子で待っていてください、僕の可愛い人……帰ったら、今度は脱ぐのを手伝ってくださいね」

恋人がウインクを残して部屋を出て行ったあと、自分の香水が香り立って、イデアは頭を抱えてベッドに倒れ込んだ。彼が帰ってきてボウタイを外すのが待ち遠しくてたまらなかった。




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