※未来捏造、付き合ってないふたり




その年、高名な博士の名前のついた魔導工学の賞がイデア・シュラウドに贈られることが決まった。数年間空白だったその栄誉ある賞を受けるのが若き天才であることに世間は沸き立った。分野の研究者たちからは、審査委員会の判断はむしろ遅すぎると考えられていた。彼はまさしく天才だったのだ。
倫理観から否定されてきた彼の研究とその成果も、時代がようやくイデアに追いつく(実際には遥かな距離があるとしても)ようになってきたのだ。そう思えば、ほんの少しだけ報われる気がした。
イデアの研究をずっと支えてきたのは彼の弟であるところのオルト・シュラウドと、学生時代の後輩にあたるアズール・アーシェングロットだった。
アズールはイデアからの連絡を受けたとき、本人よりも喜んで移動用の鏡を使ってイデアの研究室に転がるように飛び込んできた。浮かれるままに抱きしめあって、頬にキスを送った。
「あなたって本当に最高です、イデアさん!」
「君こそ最高だ!宇宙の半分は君のものだ!」
二人は学生時代から先輩後輩でありながら大切な悪友同士で、卒業して十数年が経った今も、明確な言葉や恋人同士の触れ合いはないまでも、公私ともに大切なパートナーだった。はしゃぎあってけらけらと笑いあうふたりを弟のオルトが嬉しそうに眺めて、それからじゃれあいに加わった。オルトが望んでいたのは兄の研究が認められること以上に、兄に大切な友人が──それも生きているヒトが──できることだった。

 オルトが眠ったあと、二人でアズールが経営するバーの店舗を貸し切って、ささやかな祝賀会を開いた。ここで働く共通の友人や、彼の弟を呼んでのパーティーはまた遅くない時間に始めようと計画を立てる。いつもは囁きにも似た客の会話が混ざる落ち着いたジャズナンバーが、店の空間全部を楽器に変えて美しいムードをつくっていた。
 アズールの手がイデアの生まれ年のボトルを丁寧にあけ、見事な手付きでサーブする。
「おめでとうございます、イデアさん。あなたの努力に」
「ありがとう、アズール氏。僕たちの強運に」
 金の縁取りがされたとっておきのグラスを掲げる。オールドヴィンテージと呼ぶにはまだ早いかもしれない。長すぎない、しかし間違いなく多くを含んだ時間を飲み込んできたワインが薫る。
 学生時代よりも多忙からくる疲れと、より正確なボディメイクで整えられたアズールの頬の輪郭をイデアは眺める。誰もが振り向くような美しさと経歴をもっていながら、アズールに恋人がいるという話は聞いたことがなかった。いつも仕事で忙しそうにしていたし、それでも時間があればイデアを訪ねてきてくれていた。研究の手伝いをしにくることもあれば、息抜きに学生時代のようにゲームに興じるときもあった。気分を変えようと外に連れ出されたり、新聞やインターネット上でイデアの研究が酷評されているとイデア以上に憤っていた。彼の華やかな二十代はイデアのそれと結びついていた。あるいは巧妙に隠していただけでそうした私生活があったのかもしれないが。
 イデアはこれまでの時間を検分するようにワインの味を確かめた。
「これほんとうに美味しい」
「そうでしょう、あなた普段ちっとも遊びに来てくれないから、こういうときでないと」
「たぶん、人生でこれより美味しいワインを飲むこともう二度と無いと思う」
 正面できれいに笑う相手を見て、お互いに、もう自分がいなくても大丈夫なのだと悟った。もうきっと僕たちはひとりきりでも生きていける。後ろ向きな感情ではなく、学生の頃から繋いできた手をそろそろ離さなくてはいけない。そのあと自分たちがどんな関係になるかはこの夜が終わってから考えよう。


(花に嵐の例もあるぞ、サヨナラだけが人生だ)




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