(777番キリリク:「いかだごっこに最適な天気」前日譚)


「毎日雨ばかりなんて退屈だね」
カーテンの向こうを覗きながらオルトが言う。オルトに実装された目ならカーテンを捲らなくたって外の様子だってわかるはずなのに、わざわざそんな動作をしてみせるのは誰に似たのだろう。少なくとも自分ではない。僕は乾燥機から出したばかりのシーツをベッドに掛けながら苦笑した。外に出るのは得意ではないから、雨ばかりが退屈だという気持ちはわからない。
外の天気に関係無く洗いたてのシーツはあたたかくてぱりっとしていて気持ちがいい。こうして洗ってみると、もっと定期的に洗おうという気持ちになる。実際にはその決意はとても脆くて、次の週末には砕け散っているのだけれど。
「せっかくアズール・アーシェングロットさんが来る日なのに」
彼の名義で軌道に乗り始めた事業のためにも、別姓をとることを約束したパートナーを弟は変わらず登録名で呼んでいた。一度"義兄さん"と呼ぶようにプログラムを書き換えるか迷ったが、あまりにその響きが堅苦しくてやめてしまった。アズールが家族になるのは何も法律の上だけのことではない。
「そうだね」
そう答えて、窓の外ではなく鏡を置いてある部屋のほうを見た。僕が鏡の使用免許をとってから、海の中のアズールの住まいとこちらの家を繋いで積極的に行き来をするようにしている。とはいえ、アズールの家にはあのおっかない双子が訪ねてくることが多く(結局彼らは卒業してからも離れることなく、ビジネスパートナーとしてうまくやっているようだ)回数としてはアズールがこちらに訪ねてくることのほうが多かった。
陸での仕事があるときの宿としてくたびれたアズールが倒れ込むように眠りに来ることもあったが、今回は完全プライベートの逢瀬だ。僕もひとつ大きな論文執筆を終えたあとだったし、アズールも久しぶりの休暇で手放しでのんびり過ごせるらしい。
オルトがアズールの名前を出したことで気持ちが柄にもなく浮き足立つのを感じる。アズールに会う日は未だに落ち着かなくなってしまう。
「オルト、部屋埃っぽくない?乾燥しすぎかな?」
「湿度は46パーセント。加湿器を調整しようか。室温もアズールさんが快適に思う気温になっているよ。もう、兄さんがアズールさんのバイタルデータからつくった設定になっているよ」
呆れたように言って、弟は部屋の中をくるくる回った。僕たちの寝室は広くてオルトがちょっとアクロバティックなダンスをしたって平気だ。嬉しそうにしているオルトを見ていると少しだけ落ち着くことができた。アズールの来訪を心待ちにしているのは僕だけではない。
「ありがとう、オルト」
「どういたしまして」弟は金色の深い目を細めて誇らしげに言った。
「でもやっぱり雨は残念だな、せっかくアズールさんと街に出る約束をしていたのに」
「えっ、なにそれ兄ちゃん聞いてない」
「言ったよ、兄さんは半分くらい寝てたかもしれないけど。チャットログを展開しようか?」
「アッ、えっ、いつ?」
「先週かな?アズールさんがこっちに来たら新しい靴を買いたいからって一緒に出かける約束をしたでしょう?兄さんも行くって言っていたよ」
そう言われればそんな気もしてくる。そもそもオルトに記憶違いがあるはずがないのだ。
二人と街を歩く様子を僕は想像する。アズールが気に入っている仕立て屋のある通りを、二人は軽い足取りで進む。その後ろを情けなくついていくのが僕だ。
二人が笑いあっているところを見るのが好きだった。オルトが兄さんたら困るんだよと僕について何か言って、アズールがちょっと意地の悪い解決方法を伝えて笑ったり、アズールがオルトのことを何か感心したりするのをオルトが誇らしげに答えたりする。それはいつだって幸福な場面だ。オルトのこともアズールのことも代えがたく大切だった。二人がお互いを大切にしてくれることが、僕にはたまらなく嬉しい。
窓の外では雨音が強くなった。オルトは雨が得意ではない。
「また天気のいい日に三人で出掛けよう、アズール氏のところのこわい二人を連れてきてもらってもいいし……オルトに会いたがってるって言ってたよ」
「フロイド・リーチさんとジェイド・リーチさんだね!僕も二人に会いたいな」
オルトは子供のように大きな目を瞬かせて笑った。つられて僕も微笑む。
「この週末は雨が続くみたいだから、家にいよう。アズール氏もまぜて、うちで遊ぼうよ」
「うん!」
そう言ったところで、鏡を置いた部屋のほうから魔力が流れ込むのを感じる。海と鏡がつながったようだ。
「アズール・アーシェングロットさんだ!」
降り続く冷たい雨をはじけとばすような声で弟は駆け出す。
「ただいま、オルトさん、イデアさん」
そうして僕は立ち上がって鏡の部屋へ向かう。大切な恋人と弟を、僕の家族を迎えるために。






back