(555番キリリク: 寝坊する💀🐙)


やわらかくてとろりと手に馴染む布が折りたたまれていくイメージが遠くで像を結ぶ。閉じた瞼の向こうで夜の気配はすっかり地上を(そして海の中からも)離れてしまっていることがわかった。オクタヴィネル寮の寮長を務める恋人の部屋は今も広く穏やかな沈黙に浸されているのに、夜にふたりきりでいるときの静謐さと朝の空気はやはり違う。閉め切った扉にも、海の中と部屋の中を隔てる窓にも隙間は無いのに、朝はどこから忍び込んでくるのだろう。
こうしていつまでもあたたかいところにいたい。すべすべでかわいい恋人と同じベッドの中にいられるように。だから必死になって毛布ごと夜をつなぎとめている。だいたい朝なんてものは嫌いだった。
体を丸めるように脚を曲げると衣擦れの音がした。手に触れたすべすべと気持ちの良い肌を撫でる。
ゆっくり目を開けるとアズールはまだ眠りの中だった。瞼はぴたりと閉じられて、いつもシャープな印象をつくっている眉は穏やかに緩んでいる。眼鏡を外した彼の寝顔には日頃の疲れが滲んでいる。少し、少しだけ、その呼吸の満ち引きを心配してしまう。
昨夜はアズールの部屋に泊まって、恋人同士のあれこれに勤しんだ。ほかに比べようがないけれど、僕たちはどうしようもなくお互いに触れあっているのが好きだと思う。誰かのテリトリーでこんなにも穏やかな気持ちでいられるのは初めてのことだった。それはきっとアズールも同じなのだろう。
窓の外は海の景色が広がっている。岩にはりついている色とりどりの珊瑚やイソギンチャクの有機的なつくりは恐ろしかった。海で美しいのは自分の恋人だけだ。海面は遠く、朝の光を受けて輝いている。
部屋着のまま授業に参加するイデアはともかく、身支度にいつも時間をかけるアズールはきっともう起きていなければいけない時間だ。起こすのは惜しいけれど、すべすべの頬を撫でる。
「イデアさん……」寝起きの掠れた声が僕の名前を呼んだ。
「僕のかわいいベイビーちゃん、授業に遅れるよ」
つくりたてみたいにかわいい耳元に囁いてキスを送ると、アズールは勢いよく体を起こした。す、と近視の瞳を細めて(朝の光は彼には眩しすぎるようだ)枕元の時計を見た。それから微睡の世界と、くだらない現実との境目を見極めるみたいにぱしぱしと目を瞬かせた。
「もう八時過ぎじゃないですか!!」突如リアルワールドにピントが合ったのか、アズールは悲鳴じみた声をあげた。僕と一対一の部活でしか上げないような声だ。
「イデアさん、急いでください!」
「えー、もう遅刻しようよ……」
「冗談言わないでください」手に入れたものを守り続けるアズールはそのまま躊躇いもなくあたたかくてふわふわのベッドを出てバスルームに向かった。アズールがきっと慌てて蛇口を捻ったのか、ざばざばと大きな水音が聞こえてくる。前髪を少し濡らしたアズールが下着を身につけて部屋に戻ってきた。
慌てている恋人に申し訳ないので、ベッドの中で一応体を起こす。アズールの着替えを眺めるためである。寮の部屋は常にあたたかく保たれていたが、ふたりでくるまっていた毛布に比べればずいぶん寒い。
「今何分ですか」
「あー……八時十分?」
魔法でクローゼットからシャツを引き寄せて、しなやかな腕を通す。
完璧な優等生の格好になっていくのを見ていた。時間がないと慌てるのに、制服をきれいに着るためのアクセサリーをつけるのは欠かさないらしい。いつになく余裕のない手つきで、とてもそのまま洗濯機に入れられないような靴下を身につけた。
アズールがこんなふうに必死に守っているものが僕にはわからない。出席で稼ぐ内申点とか、立派な優等生に見られたいという気持ちとか。それでも僕にだけ暴かれてくれる部分があることがいつも僕たちの脆い関係を勇気づけていた。……昨夜、この子が裸で僕に跨ってしたことを思い出して口元が緩む。
いつもより少しだけフワフワとした髪をなびかせたアズールがよそ行きのスマートな声で言った。
「帰るときは鍵をかけていってください」アズールが自室の鍵を差し出した。手の中でちゃり、と冷たい金属がぶつかる音がする。
「……部活には間に合うように支度してきてくださいね」
呆れたような、しかし穏やかな表情でアズールが言う。僕にしか見せない顔だ。
ちょっとくらっときてしまって、ヒモになる男の気持ちがわかった気がした。


Thank you 555 Hit !





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