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麗かな春の日、春風にのって学園に一匹の妖精が舞い降りた。 その時は誰もその存在を気にも留めず、侵入を見逃してしまった。(この時に仕留めていれば──とのちに学園長は泣き真似をして、生徒は皆ウンザリした。)妖精はその夜、学生寮で眠る若い学生たちから"餌"を吸い取り、仲間を呼び、翌日には1000匹に繁殖した。
学園で暮らす生徒、教師、魔法生物、それらすべての数を超える数の大量発生。 妖精はピンク色の手のひらサイズで、フワフワでムニュムニュで、誰もが小さいときにいっしょに眠っていたぬいぐるみを思い出してしまうような見た目をしている。 生真面目なリドルが図書館の棚で埃をかぶっていた『妖精学術分類全集』で調べたところ、彼ら(と呼ぶほかないだろう)はひとの恋心を盗みとって食べてしまう卑しい妖精(厳密には夢魔の亜種のようなものだとリドルは訂正した)だということがわかった。
悪いことに、その妖精は愛らしい見た目でよくひとに懐いた。 ひとを見つけてはぷにゃぷにゃと近寄って肩にのってくる妖精を無下にできず、胸に密かに抱いた恋心を食べられてしまう生徒が続出した。学園の鶏小屋の鶏も恋をしなくなって卵がまったく産まなくなってしまった。 どうにかしてください、とハットのつばに妖精を五匹のせた学園長が寮長を集めて言ったとき、温厚なカリムでさえ、ターバンによじ登ってくる妖精を手で払いながら溜め息を吐いた。
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「ほら!そっちに行きましたよ!はやく叩いてください」 部室で特製の殺虫スプレーとハエ叩きを持って、アズールはぷにゃぷにゃ逃げる妖精を追い回していた。なぜか妖精を庇うようにしてパーカーのフードに妖精をつめこんだイデアも逃げていた。アズールはそのうごめくフード目がけて──丸まった猫背ごとハエ叩きを振るった。 「イタッ!鬼!悪魔!」 「僕は人魚です!さぁ、イデアさんも駆除を手伝ってください」 「ひどい!こんなにかわいいムニュムニュちゃんを殺すなんて拙者には……拙者にはできないでござる!」 「やかましい!はやくそこをどきなさい!」 「来ちゃだめ、なにもいないもん!」 「害虫め、この部屋にいる限り命はないものと思え!」 「あぁー!ムニュムニュちゃん!!」 アズールが部室を走り回る妖精たちを巧妙に隅に追いやってスプレーを吹きかけた。ピンク色の体をぐったりとさせて動かなくなった妖精を窓から無慈悲に捨てる。これ見よがしに手袋を嵌めた手をはたく。そのそばからまた妖精が窓から入ってイデアの燃える髪にじゃれついた。 「別にいいじゃん……恋心くらいこの世からなくなっても…。陰キャの僕らには関係無いデショ」 イデアが妖精をその両手で包んでむにゅむにゅと撫でる。アズールはわずかに片方の眉を持ち上げた。 「貴方に関係なくても僕にはあるんです。僕は僕のものを誰にもやるつもりはありません。特にこのふざけた生き物にはね」 「僕の、ってアズール氏……恋してんの?」 イデアが虚をつかれたような表情でアズールを見た。まさかこの血も涙もない男が誰かに恋をしているなんて、とでも言いたげな顔だ。 「貴方には関係ありません!」 「ぶわ!殺虫剤ヤメテ」
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深夜、アズールはオクタヴィネル寮の寮内に備え付けられたキッチンで夜食を作っていた。泣き腫らした目で眉間にしわを寄せて、鼻をぐずぐず鳴らしながらニンニクとバターを熱したフライパンにチキンを放り込んでいく。 わかっていたけれど、イデアは奪われて困るような恋心をそもそも持ち合わせていなかったのだ。 アズールは必死にイデアへの秘めた恋心を守ってきたのに。 「えぇ、わかっていましたよ。あのひとが僕のことなんかちっとも気にしていないって。ちょっとでも僕のことをいいなと思ってやしないかって、期待した僕が馬鹿だったんだ」 呟いて下を向くとまた涙が滲む。 どこから入ってきたのか、妖精が一匹やってきて、アズールの手に懐いた。 「……僕をなぐさめようっていうんですか?」 指を動かすと、妖精はみぃみぃ鳴いてその指にじゃれつく。やわらかい体はほのかにあたたかい。 いっそ恋心のすべて食わせてやれば楽になるのだろうか。 (僕がなんとかして肚の中におさめているものを、こいつならうまく嚥下できるっていうのか) 妖精の口の中は亜空間が広がっていて、飲み込まれたものは妖精たちの共通のエネルギーとなってこの世界からきれいさっぱり消えていくのだという。それでもアズールは自分のものを何ひとつ失いたくなかった。特にイデアに関するものは。 アズールは小さな妖精を目掛けて肉切り包丁を振り下ろす。耳を劈くような断末魔と共に──包丁がまな板にぶつかって大きな音を立て、妖精のフワフワでムニュムニュの体は真っ二つになった。 「お前なんかに食わせてたまるか」 たとえそれが独りよがりな恋心で、いつかアズール自身を蝕む毒の芽だとしても。
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