向日葵の背に乗る

ヨコハマの初夏は暑い。
 勿論、ポートマフィアの所有する施設設備等は年中如何なる時も構成員や幹部、そして首領に至るまで過ごしやすいようにある程度は空調が管理されており、この一足早く来た夏においても対応済みである。
 地下の駐車場においては別であるが、部屋から廊下から、天井に取り付けられた送風口から涼風を吐き出しており、熱中症等とは無縁だ。
 この暑さが増す中、芥川は相変わらず黒い外套コートを羽織っており、先ほど出掛けの用において勝手に把握されて独りでに申し付けられた樋口の待つ地下駐車場へと降りた処であった。
 光等、精々天井から僅かな灯が照らす程度ではあるが、むっとする熱気がコンクリートの空間を満たしており、うっすらと汗が伝う。いつもながら玄関横付けの如く昇降機エレベーターの前で留まる樋口とその車が見えるかと思ったが、樋口はまだ其処にはいなかった。
 いつもなら甲斐甲斐しく運転席から降りて後部座席のドアを開け、芥川を案内するその姿には何の感慨も無いが、あたりを一瞥しても樋口の人影はない。
 ため息を一つ吐き、暫し待てど、その姿は右からも左からも現れず、苛立ち紛れに何処で油を売っているかと携帯を握りかけた時、奥から妙な音が聞こえた。
 車輪の回るような、音。それに加えて鎖の音か、ぎっぎっと押すような音が反響する。
 何の音か見当もつかず、一拍の間をおいて、芥川の外套が鋭い刃へと変貌を遂げようとして、奥からくるその姿を認めてするりとただの布へと戻った。

「…如何いう心算だ」

 地を這うような声が静かな地下に響き、きゅ、と音をたてて其れが芥川の少し先で止まる。

「お…お待たせいたしました。あの、それがですね、私の所有する車の機関エンジンを冷やす水のホースが破損していたのですが…替えの車が無いとの事で」
「……ポートマフィアの有す車が凡て出払う事は無い筈だが」
「ああ、いえ! 年齢の関係で保険が効く車がないと」

 にこやかに保険がと宣った樋口はそのまま黙りこくった芥川に首を傾げる。芥川の眼は真っ暗な硝子玉のように色も感情も映さないが、樋口の運転する、と言っていいのか分からぬ其れを見詰めていた。

 「_____私物か、此れは」

 延々と見つめて、ぼつりと落ちた言葉に樋口は元気よく返答を返す。

「はい! ポートマフィアに入る前は此方を愛用していたのですが、お気に召しませんでしたか?」

 視線が樋口の方へ向き、芥川の言葉を待つが、そのまま歩みを進め、樋口の横に並んだ。

「気に入るも何も、僕は此れの乗り方を知らぬ」

 樋口のへ? という声が駐車場によく響き、煩いとばかりに芥川は向日葵のように鮮やかな塗装がなされた自転車を叩いた。






 青空と眩い太陽が照らす下樋口はせっせと、両足に力を込め、必死に自転車を漕いでいた。後ろでは先刻乗り方を教えた芥川が横向きに座り、黙って宙を見つめている。
 樋口としては頬を張られるか、他の構成員の運転する車を回せと言われるのではないかと危惧していたが、非常に意外なほど、天地がひっくり返ったかと疑う程、芥川は素直に二人乗りを承諾した。
 実際に保険に適応した車が無いのは本当であったが、そこは腐ってもポートマフィアである。犯罪組織がそんなものを気にする道理等無い。なので、素直に後ろに座る芥川は本物であるか疑わしく思うが、樋口がちらと後ろを向けば、

「樋口、余所見をするな」

 と射殺しそうな視線を樋口に寄越す芥川がきちんと座っているのだ。

「先輩が落ちてないか心配になって」
「僕を愚弄するか」
「していませんが、その、芥川先輩は軽いので」

 実際に芥川は軽い。身長もあり、体重も女の樋口よりもあるが、樋口のスーツを掴もうともしないせいか、時折後ろにいるか不安になるのだ。ペダルを踏み込むのに失敗して、からからと車輪が空回りをして、樋口は少し空を仰いだ。
 道路に落ちた石を踏んでガクンと自転車の車体が揺れて、慌て後ろを伺えば、芥川が前を向けと告げて数度咳込む。

「せ、先輩大丈夫ですか?」
「埃が喉に入っただけの事」

 芥川の白い手が面倒な様子で自身の首をさすり、樋口の背中側のスーツの生地が引かれる気配がして、思わず口に笑みが浮かぶ。

「……落ちないでくださいね」 

 その言葉に応える声は無いが、満足して自転車の変速機を二つ程上げて、ぐんと踏み込めば、涼しい風が頬を撫でた。鮮やかな向日葵色と、ひらひらと舞う黒外套が、青い初夏を堪能するヨコハマを駆けて、芥川は少し目を閉じる。
 もう少しすれば、樋口も芥川も、こんな夏を感じる世界とは離れる。倉庫街の奥の慣れ親しんだ鉄錆の香りが呼ぶのだ。

「_____帰りは」
「車を手配しましょうか」 
「否、いい。報復にあった処で、貴様の此れがひしゃげて使い物にならなくなるだけの事」
「_____明日からは、元に戻りますから」
「それは重畳」
「近くに着いたら自転車を置いて向かいましょう。ほら、遊撃隊の隊長が自転車で登場したら示しがつきません」

 乗せたのは樋口だが、流石に自転車のまま登場するわけにはいかない。倉庫街の傍に自転車を置き、上司の背に着き従う樋口に、芥川は視線だけ寄越す。

「____車より不便極まりないが、乗り心地は悪くなかった」

そう口にして、先を行けば樋口の顔は見えないが、樋口は微笑んでよかったですと返した。少しだけ、名残惜し気な色が滲んだ声に樋口も芥川でさえ、気が付く事はなかった。



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