この言葉が本当でありますように



 
あてんしょん。
αな樋口さんとΩな芥川先輩が、芥川先輩の発情にあてられて番に葛藤する話
オメガバースが苦手な方にはお勧め致しません。自己責任でご覧ください。



「生まれ落ちた不幸を呪ったことはありますか」

 色の混ざった自身の声の気持ちの悪さに樋口は瞠目する。口が渇いて渇いて仕方がない。興奮と、それからくる口の渇き、そして生まれて二度目の当てられた熱に、汗が全身から噴き出す。目の前の景色が揺らいで、然し、輝くように目前の人物だけがはっきりと映る自身の性の咎に笑ってしまう程、絶望していた。

「____さぁ。あったかもしれぬ」

 は、と息を吐く芥川の眉が苦し気にゆがんだ。頬は熱に紅潮し、額を汗が滑り落ちていく。彼が少し身動ぐだけで、樋口の魂が揺さぶられるような香りが強く香って、両手がそれだけしかないシーツを掴んで、なんとか堪えようと理性を働かせた。働かせた分だけ無駄になる事は分かっていたとしても止めらないのだ。痛くて、苦しい。自分の中の獣が眼の中に炎を灯して、樋口の心がずたずたに切り裂かれていくのが分かる。

「先輩…………先輩。お薬、御免なさい。私…切らしてて」
「__そうか」

 諦め交じりの声が告げる其れはそう言う意味を孕んでいて、樋口から涙が零れた。あまりに軽率な自分が情けなくて、そしてどうしようもなかった。
 芥川がそれを知ったのと、樋口がそれを自覚したのは、つい最近の事。何方もが、成熟の遅いαでΩだったという、それだけの事。逆であれば、どんなに良かったことかと思った。
 樋口はどこからどう見てもαらしく無い。プライドが高く、社会で成功を収める絶対的な持つ者であるα。それにカテゴライズされるまではのんびりとβなんだろうと他の一般人と変わらぬ人生を送っていた。


 或日、身体の不調を期に病院でαだと伝えられて言葉を無くして、混乱して言った第一声は「切り落としてください」で、看護師も医者も錯乱する樋口を抑えるのに往生したのをよく覚えている。一生苦しむ事になりますよ、と諭されたのも、医者が困り顔だったのも、まだ新しい記憶として引き出しにしまわれている。
 暫くして、首領から「では君は芥川君と番になれるかね?」と尋ねられて、脳裏が白く、そして心がひび割れるような衝撃を受けた。病院で検査を受けている間に、彼が発情を起こしてΩだと発覚したらしい。幸いαはおらず、無事だったが、実験動物のように、発情した彼の匂いの沁みついたタオルを嗅がされて興奮にかられたこの身がとんでもなく汚い物のように感じて、泣きながら蹲った。
 抱いた感情は浅ましく汚くて、樋口が夢見て描いていた幸福なものではない。樋口が知って、恋煩い、そして遠目から見るだけで良かった感情からそれは程遠くて。生物の原始的な摂理を理解して怯えを抱く樋口に首領は優しく諭した。

『Ωの発情に彼は三月に一度苦しむ羽目になる。そうなれば、ポートマフィアという組織において戦力として置いて置くには合理的ではない。わかるだろう、樋口君。君にはなにができるかね』

 ある日突然Ωやαと知って、番にされる事の恐ろしさが樋口には分からない。αはまだいいだろう。けれど、芥川先輩はΩで、私と番うなんてきっと望まない。樋口にとっては芥川は上司であり、焦がれ、叶わぬ恋を抱く相手であり、絶対的な上下関係を持つ。それが逆転するのは、どれだけ恐ろしい事なんだろうとぼんやりと浮かぶ。

 芥川の心も、樋口の心も首領である森は重要視していない。それが都合よい関係だから尋ねた。特に配置を変える必要もなく、今までの戦力を保つためのあり合わせの関係を番にするのだ。明日の朝ごはんは昨日の夕食でいいかと言うくらい、気軽な様子であった。断れば、別のαを宛がうのかもしれない。それは、そうなれば、芥川先輩は私と番うより幸せなのだろうか。

 見知らぬ相手に寄り添う姿を想像するだけでも胃が吐き気を伝え、逆にふと、昔見た一文思い出す。当たり前の学校教育の一環。番には成りたくない。樋口は発情に中てられてしまえば、彼の意思を真っ向から無視して襲ってしまう事は容易に想像がつく。Ωというのは社会的にも地位が低く、冷遇される存在だ。そんな存在に成り下がらせたくない。動物の様に襲って、この恋がひび割れて終わるのを知りたくない。

 今日だって其れが突発的に街中で発情を起こしてしまった。幸い仕事終わりで、まだ発情の周期までは日があったはずなのにと後悔しながら、薬をさぐって、無い事に焦燥をかられながら適当なホテルをとって彼を保護のために連れ込んだ。ベッドにおろして、このありさまである。

「ひぐち」

 声に意識を引き戻されて、顔を見下ろす。かすれて、苦し気な声で私を呼ぶ唇を奪ってしまいたい。そんな事は許されないのだと、理性で押さえ込む。

「お水、今とってきますから。待っていてください」

 ベッドに彼の細い体躯を降ろしたまま、固まっていた樋口が退けようとするのを芥川が制す。彼が愛用する外套がはだけて、中の襟衣は汗で貼り付いていて、苦しいのだろう。苦しくて、それをどうにかする術を持たない彼の手が、術を持つ樋口を掴む。理性の箍等簡単に外れてしまいそうで、身を逸らそうにも、身体は言う事をきかない。

「せんぱい、やめてください」

 熱に浮かされた目で、私を見ないでください。口から、何とかそれだけを飲み込む。彼はきっと絶望するだろう。発情というそんな動物じみた回避できないものに支配されて、私を見る目が色を孕んでいるなんて。これは、きっと樋口でなくとも同じ場にαがいたら同じ眼で見つめて居た事だろう。それがどうしようもなく胸が裂けてしまいそうなくらい辛かった。

 再度名前を呼ばれて、樋口の襟衣に手がかかる。怖い。どうして、先輩。何をしているんですか、と言おうとして涙がにじむ。ボタンが外れるぷつりという音が静かで、互いの興奮に早くなった呼吸音しか聞こえない部屋に響いた。

「せんぱい、やめて」

 懇願に近かった。声は震えたが、涙は落ちない。思い出させるように、掴まれた手で、芥川の首を守る金属のチョーカーを撫でる。細かな意匠も銘も何もない。武骨で、ただ繊細に彼の首を守る為だけにつけられたもので、樋口が首領に番の話を持ち出され、誰にも、樋口でさえ、彼の首に歯型をつけて隷属させることを強いたくない一心で買う事を決めた物だ。
 妹が大学に入学した時に買った時計が、樋口が働きだして買った装飾品の中で一番高い買い物だったが、それを優に超えて、給料は二月半ほど消えた。
 それでも、それさえあればまだ芥川の心は自由で居られる。αに首を噛まれてしまえば、番になってしまう。そうなれば、一生ずっと好きであろうと好きでなかろうと一緒に居なければならない。渡したときこそ不服そうではあったが、首領の指示だと言えばあっさりとそれは彼の首におさまった。鍵は彼にしか外せないし、そういう風に作ったのだ。


 それを、いとも簡単に芥川が外してしまい、樋口は茫然とした。彼の黒髪の白い毛先が、シーツの上で乱れる。表情は変わらず、感情が伺い知れない。
 理性が途切れた樋口の手が、その腕を掴み返して、芥川がシーツの海に沈む。

「___ころしてください、お願い。先輩をこうしたいわけじゃなかった。許されません」
「貴様が死んだところで、何が変わるというのだ」

 樋口の涙が芥川の頬に落ちて、滑り、日光から防がれたせいでさらに白くなった首を伝っていく。抵抗することは出来る。外套を羅生門に変化させて、上に居る不届きな樋口を殺す事なんて、芥川には造作もない。だから、何かする前に止めて欲しかった。
 薬だって調節して、2度の発情もなんとか乗り切った。先輩を部屋に閉じ込めて、祈るように薬を与えて、部屋の外で収まるのをまった。芥川先輩にその時私はαとは伝えられていなかったが、私の怯え様にどこかで勘付かれていたのかもしれない。

「でも、先輩は襲われなくて済みます。首を噛まれたら、一生縛られるんですよ。そんなの、嫌でしょう」

 合意を得ない行為で望まぬ番になる事は少なくない。今と同じように、発情にあてられた樋口アルファ芥川オメガを襲うなんて、よくある事故だ。

「___僕は好まぬ相手と肌を重ねる程酔狂でも色狂いでもない。樋口。首を噛まれれば如何なるか、その程度理解も覚悟もある」
「____だから、噛めというんですか」
「躾の行き届かぬ犬を持つ趣向はない。故に、貴様が惧れるような事は起こらぬ」

 断言ができる訳もない言葉に安堵した。樋口は普段は従順な人である。如何し様と迷う樋口の眼を芥川が見詰めて、噛みやすいように首を晒す姿に樋口の喉が鳴った。柔い頸筋を何度も何度も甘噛みして、牙で撫でつけて、少しだけ願う。

どうか、この言葉が本当でありますように。




















 知りたくありません。
 青い顔をしてそういった女に一つため息が吐き出される。無感情を装ったそれに女の肩が跳ねて、着の身着を引きはがされたその体が、なだらかな女の曲線を描くのに、改めて存外折れそうなほど細かったのだと、芥川は目を細めた。
 
「子細は記憶しているか」

 沈黙が落ちる。女の、樋口のはちみつを垂らしたような金の髪が陽光の下で輝き、外では雀が外の青空と人が起きだしてくるぞと知らせる様に鳴いていた。爽やかな朝とはいえるが、それだけでしかない。特別ではない朝。巡り巡る朝。ひがな変わる事はない。いつ何時も時を駆けて巡る日の始まり。
 外の天気とはうってかわって、陽に祝福された彼女の表情は絶望したように染まっている。白い肌は陽光を弾いて更に白さを増して、居心地の悪さを感じて身動ぐのに、シーツに皴が寄った。明度の落ちた暗い赤を宿す眼が、暗い部屋に鮮やかさを映す窓から世界を切り取って、泣きそうに歪んだ。

「____はい。……くび、を噛んだことも」
「___千切られるかと少し覚悟した」
「それは。すみません」

 泣きそうな樋口以上に、痛みを未だ訴える自分の背側にある首筋には、きっと時間が経過してもふさがれぬ牙が突き立った跡が残るのだろう。痛み以上に、疲労が重い。起こした身体をもう一度寝台に横たえる気はしないが、そうしても善いと思う程、凪いだ心と、疲労を訴える肉体があった。

「痛いですか」
「__臓腑を噛まれるよりはましだが、牙は鑢で削る必要があるかもしれんな」
「___えっ」

 毎度噛むなら多少ましと思える程度に躾ける必要があると思う。正直、犬は嫌いだが、噛み癖をつけたままの部下であれば流血沙汰になる可能性は高く、如何にこういった間柄アルファとオメガであれど、命の危機に瀕すやりとりが毎度行われることは少ないはずだ。

「___せ、先輩」
「なんだ」
「あ、あの? 次があるんですか。てっきり、あの…次は無いと…そう言う事を言われるのではないかと」
「___成程。確かに、技巧も無く、成長途上のせいか特に悦楽もなかった。ぎこちない、下手、おまけにその噛み癖。普通であれば羅生門の餌にするところだが」
「し、仕方ないじゃないですかッ! 私だって…うぅうう……ッ初めてだったんですよ!!!」

 真っ赤な顔をしてシーツを抱きかかえていた。ごく最近までβだと思っていた上に樋口がαであると身体的にはっきりしたのは芥川が発情を起こしたのが初めてだ。無論、仕方を知っている方が不思議なのかもしれない。 
 指折り感想を告げれば、顔を埋めて「死にたい…」とシーツの中で自分を呪う所であった。髪を指先で梳かせば、背を震わせる。

「___ただ」
「いいです、芥川先輩。もう言わないでください……。辛いです…」
「そうか」

 繋いだ手が温かったから、次があっても良い。
 そう口先まで登らせた言葉は、喉の奥に落ちていった。





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