大谷吉継 | ナノ





しいていうなら、木がそこにあったから。

庭の草花へ水をやっていた時、職人が外れに生やした柿の木に実がなっていることに気がついた。
表面的にはすでに熟していて、食べる頃合いとしてはちょうどいいように見える。
遠い遠い昔はよく木登りをしていたような記憶はあるのに、ぺたぺたと鈍い光沢のあるその木へ触っても懐かしさはこみ上げない。

もう体はそのことを忘れてしまっているらしい。
そのことが、何だか妙に悲しかった。



「……っと、よいしょ」



だから登った。
幸い近くに小ぶりな梯子があったため、木の上へあがる段階で苦労せずにすんだ。
あまり着物の裾を乱さないように一歩ずつ一歩ずつ上へ向かって足をかけていく。
そこまで高く登る気はない。

けれど登っている張本人は今自分がいる位置を正確に把握できないということを、十幾年生きてきて初めて知った。
人間色々と経験してみるものだと思う。



「この辺りでいいかな…」



自分に言い聞かせるように、横へ長く突き出た太い一枝に腰を下ろした。
この木に生える枝では最も右に突き出ているので木自体も、そして周りの風景も見渡せた。


空と、遠くにそびえ立つ山々の肌が橙に染まっている。
そのまんまの入り日色。
街も屋敷も人も犬も皆。

ぼんやりと木登りをした記憶ならあるのに、こんなに綺麗な景色を見た記憶はない。
ただ単に遭遇しなかったのか、それとも、もう。



「…………」


膝を抱えたい衝動に駆られ、ここが枝の上だと思い出して諦める。
視界に映る物々が夕日に染まっているのなら、自分も染まっているんだろう。


黄昏。逢魔が時。
刑部はこの時間帯を好まない。
災厄がわれへ会いに来る、と笑って言いながらさも好みそうな様子を見せても尚、この入り日に包まれようとしない。
会いに来た魔物が、自分を迎えによこした鬼の使いだったら。
そう考えてしまうんじゃないかな。



「……降りようかな」



何だか人恋しくなったので慎重にその場に立つと、近くの枝にすがって下方を見下ろした。
どこから足をかけようか……



「……あれ?」



ぴたりと伸ばしかけた足が止まる。
どのように登ってきたんだっけか。

夢中になって登ってきたためどこに足を寄せどこに手をかけたかさっぱり覚えていない。
おまけにそれなりの高さへ来てしまっていたらしく、一本下にある枝への距離感がとんとつかめない。


 

prev next


×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -