明くる日は朝から途切れることなく雨が降りしきっていた。
そのまま夜まで、弱くなりながら、強くなりながら。
会えるのは月の出ている晩だけと伝えているので、今夜は小雨は来ないだろう。
その代わり、自分は一つの部屋にこもる。
そこで「人間」の勤めを果たす。
「刑部、いるか」
「ああ」
ちょうど窓から入って座した所に三成がやってきた。
その手に山ほどの書や巻物を抱えて。
「やれ、今宵も大量よ」
「貴様が滅多に部屋へ人をいれないからだ。たまには秀吉様の御前へ馳せ参じろ」
「いやいや、この国を担う太閤殿へ澱んだ空気を吸わせるわけにはいかぬ。これも義のため」
そう言えば無言でそっぽを向く。
これは愚かだが実直な男だ。
この部屋に籠もりきりで仕事をしている風体を装うのも、これと並んで廊下でも進もうものなら、通りかかる家臣になぜ刑部に挨拶をしない、何故いないかのように扱うなどといって叩きのめすからだ。
見えていない者へ向かって挨拶をしなかっただけで責められる家臣を増やすわけにはいかない。
それでも尚自分を人間だと思い込む三成には恐れ入るが。
与えられた執務の合間に部屋に居座る当人を覗き見れば、こちらが書き上げた巻物の意味が理解出来ない様子で、何度も書面を目で追っている。
「刑部、何故貴様は雨の日しか姿を見せない?」
「…ヒヒ、雨の日は夢と現の境目が混ざり合おう。あの世とこの世も等しくな。われはその狭間から来やるのよ」
「……物事は簡潔に言え、貴様の言葉は難解だ」
「宙に浮き、数珠を従え、包帯に縛られた存在を人間と思うはぬしくらいの者よ。そう言った」
根っこの部分を教えてやれば、三成は与えた言葉を時間をかけて噛み砕き。
そんなことかと吐き捨てた。
「嘘を吐かず、裏切らず、秀吉様のために尽力している者のみが私の定義する人間だ。貴様は何一つ違えていない。下らないことをほざくな」
その言葉をこちらも時間をかけて噛み砕き、あいわかった、それだけ言った。
人だった頃の記憶はすでにほとんど掠れているが、今と大して変わらない仕事をこなしていたことだろう。
体が覚えているのだから。
深入りすまいと自分に言い聞かせなくなったのはいつからだったか。
無意識に生者の環境に踏み入らない気性を作り上げ、何十年何百年と変わることなく過ごしてきたというのに。
「無理はするな刑部、命令だ」
……過ごしてきたというのに。
例え今の状況に慣れてしまったとしても、そう長い間留まらない方が良いだろう。
廃れぬ家が無いように、滅びぬ城が無いように。
死なない人間などいないのだ。
どれだけ言葉を交わしても、いずれは遠い彼岸へ先に行ってしまう。
「…われも病の終が見えてきた。ぬしともじきにお別れよ」
消える口実としてそう言えば、三成は勢い良く書を閉じた。
「……ふざけるな刑部、私は貴様が死ぬのを認めていない。この頃言葉尻が弱気だがどうした、疲労か」
「いや、聞け三な…」
「それとも半兵衛様の所の小雨という娘か。貴様に余計な負担をかけさせているのではないだろうな…!」
「待て、待て待て」
何を考えたのか刀ごと走り出しそうな三成を押しとどめ、絶対に間違ってもそのようなことが起きないよう静止させておく。
「案ずるな、あれは関係ない」
「しかし貴様の元へいるのは確かだ」
「ここに来たばかりで顔見知りがおらぬのであろ。われは構わぬ」
「何を言っている刑部」
微かに三成が眉をひそめた。
「あの娘が来たのはもう三年も前だ」
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