大谷吉継 | ナノ





夜が来た。
細く頼りない月が心もとなく浮かんでいる。



「刑部、お前さんこんな時間にどこに行く気だ?」

「…幽霊退治よ。ぬしは来るな」

「いっ、言われなくとも誰が行くか!じゃあな!」



全く間の悪い、と吐き、ゆるり輿を進ませる。
亥の刻辺りか、草木は寝静まりどこかで梟が密やかに鳴いた。
離れは城の裏手を進めば目と鼻の先に見えてくる。





……え、ぇ……う……





嗚呼、やはり聞こえたか。
小さな小さな赤子の木霊が。

音を立てずにそろりそろりと庭先へ入れば、縁側に座りこんでいる小雨の姿を目にとめる。
夜半でも目につく白い着物を頑なに掴み、まるで何かと戦うように。
泣いている。



「う……、えっ、……つっ…」



袖で口元を覆い隠し、漏れるしゃくりをかみ殺す。
そのせいで全く拭われない涙は惜しげなく頬を伝い、膝を濡らした。

細かに震える睫毛がまばたくたびに溢れるそれは月の光を映したせいか、どうにも、透き通って見えて。



「…ヒヒ、妖の正体などこのような物よな」

「!
よ……っ!」



ふわりと目の前に降り着けば、拭おうとでもして伸ばした右手が伸びきる前に、小雨は体を止めた。



「吉継様、何、で…」

「…はてなぜであろうな、とんと見当がつかぬ。それより小雨、ぬしは以前に嘘をついたな。幽霊の正体など知らぬと」

「ご、ごめんなさ、い…!」



何を捉え違えたのか未だ濡れる目元を袖で拭おうと動かしたので、ゆるりと腕を掴んで遮る。
あれほど悲しみをしたたらせた笑顔なら、いつどこで悲しみを感じているのか。

ならば独りの夜以外に何があると言う。
われがそうなら、これもそうだと感じたまでのことよ。



「なぜやめる」

「え……」

「われはぬしの泣き顔が気に入った。そらもっと泣いて見せ」



そうにやりと口角を上げれば、小雨が大きく目を見開いた。



「泣けぬか?ぬしを泣かせる言葉ならわれはたんと持っておるでな、さてどれから聞きたい」

「っ……ぅ、あ…っ」

「よしよし」



われの目を見つめながら、再び大粒の涙を零して咽ぶ。
しゃくりの度に小さく跳ねる体躯もそのままに、無遠慮にその濡れた頬へ手を添えた。

小さくか細く漏れる嗚咽が闇に溶け、赤子のような子ぎつねのような、確かに幽霊と冠するほど頼りない何かになり。
われの中へと溜まりゆく。



「や……!」



添えた手もそのままにべろりと伝う涙を舐めとれば、小雨ごとビクンと体が強張った。



「ヒヒ、怖いか」

「よし、つ……」

「そうよな。そら、ぬしに病の種を塗り込んでやろ。腐り、固まり、さすればわれとおんなじよ」



そう、怯えればいい。
恐れて怯えて拒絶して、さすれば今のように、泣かせるのも容易かろうと。

そう思ったはずが。





「っ!」





頬に添えていたわれの手へ、小雨が両手で腕ごと抱きつき、そのまま強く、強く頬へ押し当てた。
包帯の緩んでいる箇所すら気にもとめず、潤む目を細めてすり寄る。

包帯ごしに触れているはずであるのにじわじわと染み出すそれは触れた涙ではない。
もっともっと内なるもの。
ひどく濁った、熱く恐ろしい何か。



「よしつぐ、様」



縋るようなか細い声が、どうにも胸のうちをくすぐって。
嗚呼自分は、自分は一体どうしたというのか。

頭蓋の中に響くこの鐘は何だ、警鐘か、それとも心の臓か、くらくらと目眩を引き起こしてかなわぬ。
かような手を引き離すなど赤子の手を捻るよりも易いのに、体のどこもかしこもがまるで制御を失い。
小雨の手が触れる全てが片端から溶けそうなほどに熱く。

ただただその涙が手のひらから中に染み込み、われの最後の意識さえ飛ばさぬよう、願い続けた。



そうして出来ることなら、嗚呼、誰でも良い。

この感情に名前を付けて欲しかった。 






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