柿を取って下さいませんかと、たった今、違いなくそのような言葉が聞こえた気がした。
目を見開いて送った視線のその先には、確か軍師殿が引き取っただのと申し、ここ最近豊臣の城に住まうようになった娘が立っていた。
名前は確か、小雨だったと記憶している。
「お手数おかけしてごめんなさい」
謝られた。
いや、そのようなことでこの体の時を止めているのではない。
確かに今は城の柿の具合を見るために良い高さにいるとは言え。
わざわざ人を呼んで取らせるわけにもいかず、このまま立ち去るわけにもいかず、思いあぐねた結果手頃な物を一つもいだ。
「……そら」
「わあ」
着ている白い着物をたなびかせてまでそれはそれは大切な物のように受け取って、目の前まで降りてきたわれへ礼と共に笑む。
「……そのような物が欲しいか」
「はい。豊臣の柿はおいしいと、半兵衛さんが言っていたので」
「ヒヒ、勿論特別よ。われが触れた」
一人ごちたその言葉は大した効力を持たなかった。
縁側に腰を下ろした小雨が、早々にそれを口に含みやった故。
はてこの娘は無知なのか。
いや軍師殿がこの城に携わる者のことを教えぬはずがない。
こちらの考えもよそに、にこにこと笑み続ける。
娘が言うには大層好きなものなのに、水菓子は体を冷やすとあまり家の者に食べさせてはもらえぬと。
それでなのか、それとも普段からなのかは知らぬが、この上なく嬉しそうに食む。
切ってあるならまだしも一塊なので食べづらいと見えて、ちまちまとかじるしか出来ぬ姿がどうにも小さな動物のように映った。
あんまりにも笑うからか、それとも幸福そうにでも見えたからか。
そのいたいけな口に指でも差し入れてやろうかと輿から身を伸ばした時。
「……小雨!お前さんこんなとこにいたのか!」
「あ、黒田様」
忌々しく舌打ちをして出しかけた指を折りたたんだ。
向こうも似た感情を覚えたのは火を見るより明らかで、おまけにこちらを見て声にまで出すのだから到底又兵衛とは思えぬのだが。
「げ、刑部……」
「やれ暗、ぬしが目付役か」
「ああそうだ、言っとくが小雨にはちょっかい出すんじゃあないぞ」
「わかったわかった」
「ったく、面倒な奴に見つかったもんだ」
もう戻るぞ、とまだ食べている最中のそれを引っ張って行った。
帰りざまに振り向いて、ありがとうございます、と思わしき口の形を作って笑った。
さて、ちょっかいを出すなと言われれば出したくなるのが人よ。
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