「小雨殿、そこにいるのか?」
「………っ、」
今日も気を引き締めて玄関の引き戸の前に立った。
この人の恐ろしいところは、徐々に相手との距離を狭めているところだ。
最初は門の前だったはずが、じきに庭、いつしか玄関、と踏み込まれ始めている。
「そのままで構わない、わしの話を聞いてくれ」
「か、帰って下さい!」
「小雨殿、あなたがこういった話が苦手なのは重々承知だ、すまない」
「謝られたって…」
「刑部の力になれる話なんだ、あなたを困らせるつもりは…」
「もう困ってます…!」
何なんだろう、この人の本心は。
刑部を説得したいのか、私を説得して刑部へ助言させたいのか、屋敷の人の気持ちを動かして助言させたいのか。
生憎刑部は余程のことがない限り誰からも助言なんて受けない。
私の言葉なんて刑部の戦に微塵も影響を与えられるものではないのに。
そこまで考えて、不意に、泣きたくなった。
それからは管理役の人が助力をしてくれて、今日も何とか帰ってもらえた。
玄関先まで来られたことで唯一ありがたかったのは、引き戸越しの会話で良くなったことだ。
これならまだ表情を知られることもない。
「刑部…いつ帰るのかな」
刑部がいたらどうなるだろう。
多分部屋に入れて話を聞いて、そうして必要な所だけを取り出したらすっぱり家康さんを帰してしまうだろうか。
それとも後々のために微かな繋がりを作っておくだろうか。
私にはそのどちらも出来ないけれど。
「……小雨殿」
部屋でぐるぐると考えてしまっていた時、重々しい顔つきでお付きの人が入って来た。
刑部に文を出してくれている人だ。
「どうかしたの?」
「……吉継様へ文を出しに行った兵が、殺されました」
「!」
殺した、殺されたの話は人よりも平気ではあるけれど、この場合は勝手が違った。
後から屋敷を出た兵が、先に出て帰らずじまいだった兵の亡骸を道中で見つけたのだと言う。
その兵はすぐさまその場で見つけた亡骸のことを伝えるよう仲間の兵を屋敷へ戻らせ、自分は文を届けるために先を急いだ。
けれどその先で、やはり何者かに殺された。
文はどちらの兵からも見つからず、奪われたと思われる。
「刀も鎧も奪われていない所から山賊とは思いがたく、恐らくは…徳川様の追っ手ではないかと…」
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