来るなと言っても来る、話すなと言っても話す。
押し問答に私の精神の糸はかなりすり減ってしまって、うっかり相手に呑まれそうになったのをお着きの人に止められたのも一度や二度ではない。
口での鍔迫り合いが本当に苦手な私は言葉の押しの弱さならかなりの自信がある。
「刑部がいてくれたらなあ…」
そもそも刑部がいないために家康さんが来るので、問題の根っこはそこなんだけれど。
でも刑部は地方の人達と戦の渦中かも知れない。
そんな私へ、屋敷を任された家臣のうちの一人がおずおずと口を開いた。
「…実は、小雨殿の御心労になってはとお伝えしてはいなかったのですが…」
「……なに?」
「我々は徳川様が来られるようになってから、すぐにその旨を文に記し吉継様の元へ届けさせました。しかし…その…使いに出した兵が戻らないのです」
「……え?」
管理役の人達が刑部に定期的に文を送っていたのは知っていたけど、これは寝耳に水だった。
「徳川様にここを攻める気は無いとしても、小雨殿一人では負担が大きいのも事実。出来るだけ吉継様に早めにお戻りになるよう請願の内容の文だったのですが……」
予定していた帰着日をとうに過ぎても戻らないという。
ここのところ晴天に恵まれたので天候も影響しないはずらしい。
「念のため数日前に今一度別の兵に文を届けさせました。じきに着けるかと……」
「そうですか……」
「……事故であれば、まだ良いのですが」
最後にぼそりと呟いた言葉に思わず顔が上がる。
管理役の人はそんなことには気づかず去っていったけれど、私の頭からはさっきの言葉が剥がれない。
事故でなければ一体、何だと……。
「小雨殿ー!」
今日も家康さんが来た。
表で管理役の人達が何とか説得しようと試みている声も聞こえる。
身分が身分なので武力行使で追い返せないのが辛いところだとよくこぼしていた。
家康さん。
豊臣にいた頃からよく知っている、ひょうきんでは無いけれどとても明るい人。
秀吉さんとも、半兵衛さんとも、刑部とも、三成さんとも、黒田さんとも、一線を画した朗らかさを持っていた家康さん。
その人の周りだけ別の空気が漂っているようだった。
それが今、私達を取り巻くように流れている。
このままでは危ない。
それを理解していた。
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