豊臣軍 | ナノ


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次の日は気持ちのいい晴天で、雲一つなかった。
昨日仕分けされた蔵の中身は、多くの兵達によって処分されたり、また蔵に戻されたりしていた。
そんな光景を横目で見ながら、半兵衛が城の隅にある小高い丘を登る。

城の裏手にある小さな丘はよく日が当たり、草花が豊かに生えている。
さして広い場所でもないためか人の気配は常にほとんどない。
丘の一番上には、形が整った石が備えられていた。
知る人でなければ分からない造りだ。
それが、墓石だとは。



「……やはり君も来ていたんだね」



小さく呟いたが、先にその墓石へ訪れていた人間はすぐに振り向いた。
手向けの花すら持ってこないところが彼らしい、と半兵衛は思った。



「……お前も来たか、半兵衛」

「うん。相変わらずここは良い場所だ」



柔らかな風が丘を越えて頬を撫でていった。
どこかで小鳥が囀っている。



「……気づいたんだね。あの絵は、ねね君が描いた物だと」



また墓石に視線を戻し、ゆっくり頷いた。
秀吉のかつての妻であり、そして秀吉に葬られた存在。



「お前こそ、良くねねの絵だと分かったな」

「城の内部を描くのはまだしも、君を描ける人間なんて片手の数もいないからね。特に、眠っている秀吉を描く事が出来る人間なんて」



唯一描かれた人間である秀吉は、固く目を閉じていた。
鎧を着たまま、腕を組んだまま寝てしまうのは、彼の執務中の癖だ。



「下手の横好きだと己で言っては、あちこちで描いていたな。我を描いていた事は知らなかったが」

「……僕の独断で手鞠へあげてしまって、良かったのかい?大切な品なら返してもらうよ」



秀吉は微かに微笑みながら首を横に振った。



「我には無用よ……それに、あれは娘を欲していた。血の繋がりはないが、手鞠が持っていた方があれも喜ぶであろう」

「…そうだね。それに、君の絵を描いたのは手鞠だと思われた方が、こちらとしても有難い」



自分より遥かに巨大な姿を持つ友は、墓石から全く目線を逸らさずに聞いていた。
あの時の表情と違う所が見つけられない。
自分の妻を手にかけ、墓石を建てた直後から、この横顔は全く変わらなくなってしまった。

秀吉とて不器用なりに妻を愛し、大切にしていた事は半兵衛が最も理解している。
しかしその存在は、日本統一という夢を切り開いていくにはあまりにも、秀吉の弱みになり得たのだ。
血を血で洗う戦場に置いておくにはあまりに儚すぎた。



「……我は我がした事を、後悔しておらぬ。日の本を統一する人間になるには必要な痛みであったと、理解しておる」

「……君は強いね秀吉。眩しくて見つめられないほどだよ」



ぽつりと呟いたその言葉に、初めて秀吉が視線を動かした。
隣に立つ、今にも折れそうな華奢な友人へ向ける。



「どうした半兵衛」

「いや……絵描き帳を与えられて喜ぶ手鞠を見たら、つい迷ってしまってね。僕がしようとしている事は正しいのかと…弱気になってしまったんだ」

「……手鞠は望んでお前の傍におるのだろう」

「そうだね、そうに違いないよ。それでも手鞠を僕の命にしたのは、他ならぬ僕だ。あんなに健やかで一生懸命なあの子を、僕は連れていこうとしている」



そんな事が許されるのだろうか



時々、手鞠の持つ生命の煌めきが、哀しくなる程に眩しい。
のびのびと健やかに育ち、疑う事も考える事も知らず、ただ一匹の生き物として此処にいる。
どこに出しても恥ずかしくない存在に成長した事が誇らしい。

自分がその命を、摘み取るのに。



「我が許す」



頭に響く低い声に、顔を上げた。
秀吉は口の端をわずかに持ち上げ、半兵衛の目を見つめる。



「お前が手鞠をどうしようと、我が許そう。お前は我らの夢のため、お前の悲願のため、必要な事を全てやるが良い」

「秀吉……」

「お前が夢に向かうために必要な事は、我にも必要な事。それに、我とて愛を手にかけた。お前がそれをした所でどうとも思うものか、我と同罪になるだけよ」



ずいぶんな言い草だったが、何だか笑えてしまった。
笑って良い所ではないと分かっていても、自然と口元が緩んだ。



「……君と同罪か。それも良いかもしれないね」

「うむ。我らは一蓮托生、目指すものも背負うものも、また同じよ」

「ありがとう……秀吉。せめてその日が来るまで、僕はこの夢のために邁進するよ」

「それが良いな」



言葉がお互いになくなった所で、半兵衛が大きく体を伸ばした。



「さあ、そろそろ軍議の時間だ。戻ろう」

「嗚呼。そう言えば今朝、手鞠が早速絵を描いていたぞ」

「へえ、何の絵だい?僕も見せてもらおう」



体格の違う二つの影が去っていくまで、丘には優しい風が吹いていた。





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