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一月ぶりに松ちゃんの屋敷を訪ねることにする。
見覚えのある陶器の破片が、襖の開ききった部屋の畳上に落ちていた。
違う、置いてあった。
宙から畳に叩き付けられた形のまま、恐らく一欠けも無くならずに。
多分一月と少し前に松ちゃんが見せてくれた何とかっていう名器だ。
首をひねるとにび色がかった緑がゆるりと視線に合わせて動いたからよく覚えている。
ただその時は畳の上なんかじゃなく立派な桐の箱と松ちゃんの手が器を支えていた。
そこには傷どころか曇り一つなく。
「一枚、二枚…」
大小に飛び散った破片を小袖の袂に拾い集める。
これを壊したのは可哀想な女中さんでも三人衆でもない、松ちゃん本人だと知っているから。
(本当に愛しいものというのは)
ある日、目の前で気に入りの骨董を壊して見せた松ちゃんは、とても楽しそうにそう言った。
(壊してしまいたくはならないか?)
(愛しい、もの?)
(ああ)
(………)
そうは思わなかった。
もともと好きなものはたくさんあるけど、愛しいなんて思ったこともないのが正直なところで。
それでも壊してしまったらもうそれは私の愛したものじゃない気がすることくらいは分かった。
(壊したらもう会えないよ)
(そうだ、もうどんな世の人間も元の美しいそれを見ることは叶わない。
そしてそれを最後の最後に所有していたのは、私だろう)
それを聞いて、ああだから松ちゃんは私の知っているところに壊した宝物を置いておくんだと気がついた。
綺麗なままの元の宝物は見せてはくれても絶対に触らせてくれないのに、こうして砕けてしまった宝物は、私が触れることを喜ぶ。
壊れたそれを私が好き勝手弄んで、打ち捨てるのを心底嬉しそうに眺める。
もう完全に綺麗な宝物は存在しなくて、私は壊れた「今の」宝物しか触れなくて、そして宝物は最後の最後まで、松ちゃんのものだったから。
「松ちゃん。」
松ちゃんはいつもの部屋にいた。
私が遊びに来ると大抵一緒に本を読んだり話したりしている部屋。
広いとは決して言えない、縁側と小机と本棚があるだけの部屋。
「…ああ手鞠、気づかなかったな。」
「松ちゃんこのお茶碗壊したの。」
袂に拾い集めた破片たちを見せると松ちゃんの顔が少しだけ歪むから、一応宝物を壊したことは松ちゃんにとっても苦しいことらしい。
でも知ってる、その苦しみがまた現実味があって、柔らかな満足感が増すってことを。
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