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麗らかとは言えない雨の日。
畳に丸まって書を読んでいる手鞠と、外を向いて座しながら読んでいる松永。
「なー松ちゃん。」
「何だね?」
「馬食べたことある?」
「ないな。
…いや、昔に一度あったか。
味を覚えていない辺り、さほど突飛な味でもなかったようだ。」
「へー。
牛は?」
「牛は珍しくもないだろう。」
「じゃあ人は?」
「人か…一度試して餓鬼か畜生道に堕ちてみるのも悪くはないが、何よりも醜悪な味がしそうでね。
未だ成らずだ。」
ぺら、ぺら、と互いの頁をめくる音が響くだけ。
「なー松ちゃん。」
「何だね?」
「女の人ってどうやって落とすの?」
「まずは相手を理解しているということを示すことだ。
男は認められ、女は受け入れられることを欲している。
それを知っていれば難しいことなどないのだよ。
理解されることに興味を持たない、卿のような種族でなければの話だが。」
「よく分かんない。」
「卿のように一にも二にも飛びついていくというのは、実に良い方法だということだ。
懐いてくるというのは無条件に自分を受け入れられているのに等しい。
最も、下心が透けて見えては致命的な方法だが…」
「あ、眠い。」
「卿の欲望は誠に素直だ。」
眠さを紛らわすため、ごそごそと広くはない部屋の壁に備えられた本棚を漁ってみる。
「勉強します。」
「良いことだな。」
「虎穴に入(はい)らずんば…」
「入(い)らずんば、と読むのだよ。」
「いらずんば?」
「ああ。」
「いらずんば…いら、ずんば…いらず、んば…いらずん、ば…」
「気に入ってしまったか。」
「私の名前いらずんばにしようかな。」
「まあ止めはしないが。」
雅号にしては風情がないか、との呟きを手鞠の耳がとらえた。
「雅号?」
「風流人が持つ第二の名前だ。
大抵好きな言葉から二文字程を取るのが主流だがね。
昔は持ってみる気でいたが…」
「じゃあ松ちゃんだったら『苛烈』かあ。」
「……いや、確かに嫌いではないが。」
「かれっちゃん。」
「しかもそう呼ぶのかね。」
「枯れっちゃん?」
「やめたまえいらずんば。」
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