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「卿もそう言う存在なのだろうな。」
「あぁ!?」
襲撃の最中にいきなり前後の流れの分からない言葉をかけられて奥州の竜はブチ切れる寸前にきていた。
しかしそんなこともどこ吹く風で、眼下の軍を見つめている。
「『たくさんある何かの一つ』。
ぞれが卿だ。」
「Ha!
俺はいつだってonly oneだ、どいつとも並ぶ気はねえ。」
「……その言葉を、いつまで背負えると思うのかね。」
いぶかしげにこちらを見上げる碧眼の若竜は、今の言葉をどの程度飲み込んだのか。
永遠に生き続けるものが無いのなら、それは永遠に変わらないものが無いということの証明だ。
大いなる野望も尊大な自律も、崇高な敬意も底無しの愛情も、いつかは尽きる。
消えるように、投げ出すように、その背から下ろす時が来る。
好いたものを嫌い、敬ったものを憎み、守ったものを捨てて、自業自得の自責に苛まれて生きていくのだ。
それが人。
いつかどこかで、雨に打たれるあれを見つけた。
どこかの世話焼きから傘を与えられた、その後の昼だったと思う。
(…卿かね)
(ん?)
くりん、と口元を笑わせたままの顔が振り向いた。
いつもなら翻るはずの小袖も、水をたっぷり吸い込んだらしく重たげに揺れるだけ。
(あ、松ちゃん)
(………)
(傘なくしちゃったよ)
あんなに大きな物をなくせるはずはない。
恐らくこの手によって壊されたか、打ち捨てられたか、まあどちらにせよ結果は同じだった。
手鞠の髪をとめどなく雨水が滴る。
(雨は嫌いだったのではなかったか?)
(こないだ嫌いなら、今日は好きだよ)
あはは、と笑う。
事も無げに。
(こないだ好きなら、今日は嫌いだよ。
そして次はまた好きになる)
どうしてこの世の人間は、皆あれのような平らかな心を持っていないのだろう。
愛したものを愛し続けなければならないと、腐り落ちるような呪いのような思い込みから逃れた人間はあと何人いるのだろう。
「…おや。」
視界の端に白い何かがよぎったと思いきや、そこかしこにそれが降ってきていた。
雪だ。
「…冷えるはずだ。」
手鞠が逃げるはずだ。
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