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燃えていたのは存外小さな区画だったけれど、火はずいぶん高くまで上っていたように思う。
いつだってそうだ、横を馬で走っている存在が生み出す火が穏便であった試しがない。
「私が幾度もかの第六天魔王に私物を献上したのは卿でも周知の事実だろう」
誰から聞き出したのか、森の抜け道を馬で駆け下りながら松永が呟いた。
それは知っている。
何度あの信長へ謀反を起こしてもその首がはね飛ばされずにいるのは、それに見合うだけの品を松永が所有しているからだ。
だからもう分かった、燃やしたあの区画に一体何があったのかなんて。
「私の物でなくなるのなら、それに何の価値がある」
無いんだろうねえ、と、なるべく他人ごとに聞こえるよう返した。
そうだ、これは手に入らなくても、手に入っても、手離しても、壊す人間。
自分のために壊す生き物。
「…そう言えば卿、あの一品物の赤い首飾りはどうしたのかね。」
「友達にあげたー。」
「ははは、そうか。やけるな。」
「松ちゃんついに自分に火ぃつけたの。」
「いやそちらの焼けるではないよ。」
「あ、町だ。」
さらりと言葉を受け流しながら、あの松永の庭の池の水に返った骨董品と、今まさに燃え盛る炎に焼かれている骨董品と、一体どちらが物らしくあったのだろうか考えて。
どちらも嫌だなあと、遠くに浮かぶ町の灯りを見つめた。
――――――…
「わざわざ卿から赴いてくれるとはな。」
珍しく晴れたある日の朝、自邸の外廊下に立っていた松永の視線の先には珍しい訪問者が庭にいた。
いつもと変わらない笑みをその口元に張りつけている。
「卿の協力が無ければ円満に逃亡、とまでは行かなかっただろう。」
「以前はあなたの大切な物を拝借いたしましたので、ふふふ…手を咬まれる信長公も見られましたし。」
よほどそのことが嬉しかったのか、思い出したように明智光秀が口角を引き上げた。
息をしているのかさえ不確かな口元から微かに白い息が上る。
「ほう、何なら三度目の私の謀反を助力してくれても構わんが?
『以前のように』。」
「いえいえ、私もそろそろ目を光らされていますから…。
そうそう、信長公が貴方のお望み通り、酷くお怒りですよ。
二度と貴方とさなぎを共に呼ぶことはしないとね。」
「そうか、これで今生出仕をする理由がなくなった。
いや十全十全。」
「…ああ、恐ろしい恐ろしい。」
くつくつくつ、とゆらり笑って。
「ではこのことは、どなたのお耳にもお入れにならぬよう…」
「ああ。」
では失礼、と掻き消えるように光秀が去って行った。
さて、と松永が小さく上を見上げると。
「…松ちゃん、勝手にお耳に入って来たものはどうしたらいい?」
「有り難く頂戴しておきたまえ。」
「そうねー。」
屋根の上にいる存在は、またごろりと寝転んだらしい。
光秀が来る直前までそう世間話をしていた相手の声を、目を伏せて多少笑みながら耳に通す。
風の無い日だ。
「どろどろしいなー…」
なんて、微塵も気にしていない間延び具合で呟いた。
「清いところに人が栄えはしない。
しかし珍しいな、卿が昨日の今日で訪ねてくるとは。」
「ああ、うん、言いそびれちゃって。」
「何をだね?」
「さよならをだね。」
ああ、やはりそんな時期かとゆっくり目を開く。
忌々しい冬の将軍が霜の降りた庭先に見えた気がした。
これはますます身軽になっていく。
こちらは壊すことでしか何もかもを振り払うすべを知らないのに、これは抱えられるだけの物を手に入れて、悪戯にその辺に置いていなくなる。
大切であろうとなかろうと、意図も容易く宝物を手放す人間。
自分のために捨てる生き物。
「…実に愛おしいな、私達は。」
そう言えば手鞠は肯定も否定もせず、笑った。
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