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「下の店先を通り過ぎる大勢の客をこう、ずいぶん可愛げのない目で見つめていたら、きしきしと音がして。
ふいっと顔を上げたら、色提灯を連ねるために渡した紐の上に誰かが立っていたんでありんすよ。
そんな所に人が立てるはずもないのにわっちの目の前にいたもんだから、開いた口も塞がりやせん。
しかも女で、たいそうな槍をしょって、あああの時は狐の面を上半分だけつけていたっけ。」
夢物語のようにさらさらと話す。
視線は前に、もしくは下に。
「それでもって笑って、お姉さん遊ぼう、なんて言うもんだから、わっちは貴重な休みを散々連れ回されたんよ。
寄りによって窓からさらわれて、屋根の上を走られて、叫びっぱなしで喉が枯れかけたでありんす。」
見間違いでないのなら、相手は笑っていた。
それは到底辛い思い出とは聞き取れず、ひねくれた心が舌打ちをした。
「だから結局、旦那の言うとおりでありんした。
廓に売られて堕ちに堕ちたら、また次に堕ちていける相手を探した。
それだけのことでありんした。
ねえ旦那。」
「そんな苦虫を噛み潰したような顔、おやめくださいましな。」
――――――…
思っていたよりも早くに隣国へたどり着いた。
空は大分茜色だが、まだその色提灯とやらは点いていない。
「お姉さん届けに来たよー。」
「鈴!」
「鈴姉!」
馬を止めた途端遣手と思わしき存在と、何人かの妹分が飛び出して来た。
手鞠と並ぶ私を見ると咄嗟に深く頭を下げて、世にも恐ろしい目つきで女郎を睨んだ。
「ご苦労だったね手鞠、褒美はつけとくよ。」
「わーい。
あ、お姉さん忘れ物!」
はい、と首からかけていた頭に被る蓑傘を、奥に連れて行かれそうな彼女に差し出した。
追われた時に被っていた物だろうか。
「全くこんな格好をしてまで逃げ出して…」
「うん、でもお姉さんが何回逃げても、すぐ捕まえに行くからね。
安心してね。」
それは果たしてお目付役の遣手に言ったのか、それともこの女郎に言ったのかは真意が図れない。
ただその顔へ傘を被せるために限りなく近づいたその刹那に。
「逃げたくなったら追いかけるけど、死にたくなったら教えてね。
一緒に遠く遠くに逃げようね。
私何だってしてあげる。」
そう耳打ちして笑い、深く深く傘を被せた。
女郎は何も言わず、きりりと噛みしめた口元だけが視認出来る。
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