▼
「遠くに行っても変わりないことや、外にそこまで大したもんが無いことくらいはわっちらは皆知ってるんでありんす。
旦那の仰るとおり、男がいるならともかく独り身で飛び出す阿呆なんざいやしない。
だから郭に戻ったらわっちは阿呆扱いでしょうねえ。」
また顔を横に戻す。
その視線の先に何があるかは知っていた。
「…呼出のわっちが逃げれば、遣手の婆は必ず追っ手をよこしんす。
そしてそれは必ず手鞠だろうと、わっちは承知の上でありんした。
手鞠でない馬の骨な男ならこんなこと思いもつきやせん。」
そして読み通り、あれが追い込みをかけてきた。
恐ろしいほどの速さで。
「わっちを追いかけるのは手鞠でなくちゃあならなかった。
手鞠ならば決してわっちを逃がすことも、見失うことも、間違えることも、振り切られることもしやせん。
心底楽しそうに、地の果てまでもわっちを追ってくるって、知っていたんでありんす。」
「卿には惚れこんでいるようだからな。」
「ええ、ええ。
だからいつか必ずどこかでわっちに追いついて、あの手を広げてわっちに抱きついて、心底優しく捕まえてくれると分かっていたんでありんす。
そうして笑って、「帰ろうね」って、必ず、そう言ってくれると……」
初めてうつむいた顔に涙は流れていなくとも、その口元が苦しげに笑ったままだということは分かった。
嗚呼、結局、帰る場所が欲しかったのか。
それが自分にもあるのだと、あれに教えられたかっただけに過ぎない。
逃げ出してさ迷って、行く宛の無い不安に苛まれるほど、自分を追いかけてくるあれが救いに見えるだろう。
「では今は卿にとって帰り路か。
絶望の色が少ないはずだ。」
「そうでありんす。
廓の誰に笑われても、わっちにはそこだけが帰る場所なもんで。」
「哀れだな。」
「何とでも。
八つ当たりくらい引き受けまさぁ。」
誰が、何に、八つ当たっていると言うのだろうか。
いや、よそう。
恐らくは不都合な真実だ。
「…廓の夜は明るいもんで、日が沈んだともなりゃ色とりどりの提灯が軒下に並びんす。
外じゃあ姉達が綺麗な着物に猫みたいな声で呼び込んでいて、ああ昼間より俄然賑やかだなあとか、とりとめなく考えていたでありんすよ。
その昔、廓の二階から外を眺めながらね。」
prev / next