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今日、あれが狩りをしているのを見かけた。
一日だけ屋敷の裏の敷地で鬼事をしたいと言われたので好きにさせたが、見ればあれは紛うことなき鬼役で、逃げているのは女だった。
「――、――――。」
「――――…」
走りながら何か会話をしているのかも知れないが、屋敷の最上階から人差し指程度の人影しか追えない距離を見つめていては聞き取れるはずもない。
そちらの聞き取りは諦めてせわしなく動き回るそれらをしばらく眺めていた。
露出した岩も斜面もある敷地を、笠をかぶった女が必死に逃げる。
その後ろを槍を背負ったあれが慣れた足つきで追い上げる。
あえて距離を詰めないでいることはすぐに理解出来た。
獲物を疲労させた方が捕らえたときの抵抗を少なくさせられるのだから。
しかし何とまあ、あの目のたぎり煌めくことだろう。
あんな笑顔で追い回されてはたまった物ではない、と他人事であることを前提に半ば哀れみ、半ば羨んだ。
「――え―さん――、」
今はお姉さんと言ったのだろうか、あれの普段の口ぶりからそうかも知れない。
どちらかの圧倒的有利さ故に保たれていた距離も、徐々に縮まってきているようだ。
女の足元が幾分かぐらつき始めたことに気づいたのか、一気に距離を無くし、ぱあと両腕を開ききると。
後ろから抱きしめるように獲物に飛びついた。
「――――…」
女はもう抵抗しなかった。
あれの捕まえ方が恐らくは良いのだろう、逃げるのをやめその場に座り込み、そっと笠を外す。
やけに整った、しかし見覚えのある顔がようやく露わになる。
「……ほう。」
私の見当が外れていなければ、それは以前手鞠と共に行った遊郭の、鈴という女郎に違いなかった。
手鞠が主に生業としているのは戦の助力か遊郭の護衛で、後者の仕事に逃げ出した女郎の捕獲も含まれていることはこの日知った。
恐らく隣のこの国まで追い込みをかけ、最後に捕らえるための素人には辛い土地を私に求めたのだろう。
「さて、短くはない道中だが歩いて向かう気かね?」
無事捕獲した女郎と国を出ようとしている手鞠を待ち伏せれば、露骨に嫌な顔をされた。
全くこれは女となると目覚ましく優先順位が顕著になる。
それは私もだが。
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