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雨も降っていないのに、森の全ては湿り気を帯びていた。
踏みしめる土と枯れ葉、立ち並ぶ木々の表皮、果てから空気に至るまで全てが水気を宿していて、風が通るたびにひやりと冷たい空気を運んだ。
「…寝具としての具合はどうだね。」
「大変結構です。」
「それは何よりだ。」
そう言って、その穴のくぼみに松永も腰かけた。
すぐ横で丸まっている手鞠が不思議そうに見上げたが、そのうち気にならなくなったのかまた顔を戻す。
しゃらん、と涼やかな音がしたのでそちらを見ると、手鞠の首から下がったあの赤い硝子片が岩と触れ合った音だった。
「ここって桜が生えてるんだね松ちゃん。」
「桜?」
「あれあれ。」
手鞠が指差した山の裏側へ体を向けてみる。
斜面の向こう側はなだらかな坂になっていて、わずかに視線を伸ばすだけで見ることができた。
桃色の何かが群生している。
桜の木だった。
なぜここに、と考えた時、自分達のいる側の斜面に極端に木が少ないことに気がついた。
「…成る程。
木を切り倒して都を作ったな。」
「な。」
全ては逆だったらしい。
先ほど見つけた廃屋に未だ咲く桜の木は献上されたのでも持ち込まれたものでもなく、唯一元からこの場所に存在したもので。
あの一本を残して全てを切り倒した土地にこの都が作られたようだ。
そして木よりも、遥かに早く滅んでいった。
「卿の寝ているこの石は切り倒された桜の墓標か、はたまた慰霊碑かも知れないな。
罰が当たらぬよう気をつけたまえ。」
「座っちゃってる松ちゃんも同じだから大丈夫。」
「私は日頃の行いが良いから心配は不要だ、すまないね。」
「なんだってー。」
言い返すか何かをしようと起き上がりかけた手鞠の頭に手をかけて岩の地肌に押し戻した。
「てっ。」
「じっとしていたまえ。
見えない桜を見つめる機会など何度あるとも知れないだろう。」
ぱちくり、と手鞠が目を見開くと、逆に松永は目を細めて岩に寝そべるこちらを見下ろした。
そしてゆっくり、兵達がいるであろう山の麓へ視線を移す。
刈られて死に絶えた桜の残映がそこにあるかのように微笑む。
その目つきは松永が大切な骨董や刀を見つめる目つきと何も違わなかった。
「…ここは何とも愛しい場所だ。」
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