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「手鞠さんでしたらいまさっき立たれましたが…」
「…こんな夜更けにか。」
手鞠がどこかへ去るのは大抵明け方だ。
そう言っても屋根か屋根裏か木で眠るので、会えない分には夜更けに出ても朝方出ても変わらないのだが。
「何でも星を見ていたら、急に…」
「星?」
天を仰ぐと血のように赤い星が瞬いていた。
思わず眉をひそめるような不吉な形相の星。
意味合いは違えど自分と同じく本能に従って生きている手鞠なら、ここから安心できる場所へ去るには十分な禍々しさかもしれない。
仕方あるまい、思わず呟いた言葉の端に未練が残っているようで、失笑してしまった。
「…未練だらけではないかね。」
暗く深い森の入り口になぜか立っていた。
雨も降っていないのにどことなく湿った空気が漂っている。
手鞠が森へ向かって行ったというだけで方角も何も考えずに足を踏み入れるというのは、本当に探す気があるのか疑えさえする。
それでもこれだけ適当に宵の世界へ踏み込んでいける理由は実に簡単で。
「あれー松ちゃん。
何してるの?」
「おや奇遇だな。」
結局は会えてしまうのだ。
何だかんだという前に。
手鞠はいつものような木ではなく、かといって廃墟の屋根でもなく、風変わりな石の中に座っていた。
大人の背丈以上の高さがあり、ちょうど両手を広げた程度の幅もある黒い巨大な石。
その中心に出来たこれまた大きなくぼみに、手鞠は丸まって収まっていた。
「…これは卿のねぐらかね?」
「うん、最近の。
まだ都があった頃はなんか儀式とかに使ったらしいんだけど。」
今はもうねえ、と意味ありげに呟いてぺしぺし冷たい表面を叩いた。
斜面にあるため松永も慎重にそれへ近づいてから、微かに触れてみる。
石独特の凹凸はあるものの、石炭のようにてらてらと月の光を反射した。
「黒曜石か何かか…」
素材の見当はついても、これほど巨大なものは見たことがない。
加えて儀式に使われていたとまで言われるその曰くありげな石を寝床にするという考えも理解しがたかった。
それでも。
「こんな夜更けにどうしたの松ちゃん。」
「…いや、ただの散歩だ。
どうにも寝付けないのでね。」
あらら、と丸まったまま可笑しそうに笑んだ。
それでも、こんな場所の方が彼女は安心を覚えるのだ。
どれだけ屋敷に遊びに来たとて、最後は必ず屋根で眠ってしまうように。
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