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片手の数ほども知らないが、手鞠をどう呼ぶかを知れば手鞠をどう扱いたいかが見えてくる。
人と同じ名前を与える者、物の名前を与える者、さながら動物のような名前を与える者。
「名付けは支配だ。与えられた名は人間に多大な影響を及ぼす」
そこまで考え、惜しいな、と呟いた。
「私は卿に名前を付けなかった」
手鞠の顔を覗き込みながら呟くと、向こうはキョトンと目を開いて、そうだっけ?と小首をかしげる。
「私が呼んでいる手鞠と言う名も、元は前田の人間がそう呼んでいた物に過ぎない」
「あ、そうだったや。まつお姉さん達が適当に決めて呼んでたんだよね」
これと初めて会った時に手鞠が人それぞれに呼ばれていることなど露知らず。
誰かが「手鞠」と呼びかけたのを聞いたために、そう呼んだだけのことだ。
他のものとは違う、私一人だけの呼び名をつけていれば、今の関係にも何かしら変化が起きていたのかもしれない。
惜しい、実に惜しい。
「松ちゃんだったら私にどんな名前を付けたかな」
「ふむ…まずは私以外の人間が決して呼ばないような名前だろうな」
「どうして?」
「唯一の呼び名というのは強いだろう、生涯名の意味を意識して生きることになる」
「へえー」
手鞠は素直に長い講釈を聞いていたが、理解したのかは不明だ。
それでもこちらが若干満足してきている事は敏感に察したらしく、もぞもぞと私の膝上から抜け出した。
また気が変われば好きに屋敷を抜け出して、どこぞへと放浪の旅に出るのだろう。
それを咎める事も、引き止める事も、出来た試しがない。
何故なのかと考えた事もあるが、結局答えは出なかった。
「そう言えば松ちゃんはあだ名あるの?」
「烏や梟に例えられたことはあるが、『松ちゃん』ほど奇天烈な呼び方をする者は卿以外にいないさ」
その時、ぴたりと口が止まった。
何か己にとって不都合な現実の断片が脳裏を過ぎった気がしたのだ。
名付けは支配
他の人間が決して呼ばないような名前
名前の通りに生きようと意識をする
あだ名でも効果はある
『松ちゃん』
「……卿、そう言えば何故私を松ちゃんと呼ぶのだったかな」
「んー。気安くて、ありふれた友達みたいでしょ?」
あはは、と酷くさっぱりと笑う手鞠の姿に、何故彼女相手だとこうも強く出られないのかという謎が解けたような気がした。
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