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あれは二年前の春の日。
俺は孫市と言う一人の女に一目惚れをした。
もう脳天にも心臓にもガツーン!と杭が打ち込まれたね。
鐘でもいいかな、とにかく衝撃的だったよ。
長い事口説きに口説いても、孫市には微塵も届かなかった。
男の好みを聞けば「もう死んだ男」だと言うし、甘い言葉なんて一刀両断されたしね。
それでも雑賀衆に引っ付いて日の本を移動し続けたら、雑賀の里に入れてもらえるようになったんだよ。
嬉しかったなあ。
けどそこで俺は一つの恐ろしい真実を知っちまうんだ。
孫市にはいわゆる、好い人、がもういる。
信じらんないよね、孫市は一言もそんな事言わなかったからさ。
それに俺はずっと近くにいたんだ、男の影なんてこれっぽっちも無かった。
まあ俺も単純だからさっさと孫市に聞いちまったのよ。
(孫市!あんた……伴侶がいるんだって)
(ああ、知ったのか。いるぞ?)
(何で言ってくれなかった、俺は本気であんたを追いかけてるんだぜ)
(聞かれなかったからな。それに、奴とは正式な関係ではない。生涯の伴侶と言うのも我らとの契約のようなものだ)
(どういう事だ?許嫁なのか?)
(フッ、許嫁にされぬように契約したのだが…まあ分かるまい。単純にどちらかが死ぬか、気持ちが変わればいつでも反故に出来る関係ということだ)
(つまり……そいつを倒せたら、俺にも望みがあるって事か)
孫市は何にも言わなかったよ、ただ綺麗に薄く笑っただけだった。
でもそれが答えだろ?
俺は孫市の伴侶探しを始めた。
情報は奴が「千代」って名前だって事だけ。
いや結構すぐ見つかったよ?
だってそいつ、割と頻繁に孫市に会いに来てたんだからさ。
里の抜け穴を使ってたから今まで俺に見つからなかっただけで、雑賀衆に聞いて回ればそいつがいつ来るのかあっさり教えてもらえた。
だから月の綺麗な晩に、そいつに決闘を申し込んだんだ。
抜け穴の前に仁王立ちしてさ、穴からそいつが出てくるのを待ち構えながら、こう啖呵を切ったんだ。
(俺の名は前田慶次!雑賀孫市に恋する一人の哀れな男さ……今宵、彼女を賭けて一試合願おうか!千代!)
決まったよ。
俺だって伊達にかぶいてきたわけじゃない。
啖呵切らせたら超いい男だからさ。
そしたら穴の中のそいつ、返事をしようとするんだけど、何か声が震えてんのね。
(て、丁寧に、どうもあり、がとう)
(……?伝わったか!ならば姿を見せろ!)
(う、うん……わか、ふっ、)
(何笑ってんだ……ん!?この声まさか…!!)
(あはははははは!)
そう、まさかのまさか。
「紫菊が大爆笑しながら穴から転がり出てきたんだよ…!!」
慶次が酒ビンを畳に叩きつけるのと同時に、伊達がついに笑いをこらえ切れなくなりお腹が裂けそうなほど笑った。
小十郎も笑ってしまって上手く酒が注げないので一旦畳に置いていた。
「もうまじで巫山戯んなよ!俺がこれだけ苦労して決闘まで持ち込んでんのに何で毎回毎回出てくるのがアンタなんだよお紫菊!!」
「ごめんな」
「いや俺も途中で『千代って女の名前っぽいよな…?』ってちょっと思ったけどよお!」
「我らはお前達が知り合いだとは思っていなかったからな」
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