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春の象徴とも言える桜の木が満開になった頃。
手鞠は文机に向かってうんうん唸っていた。
珍しく筆を持ち、慎重にその筆先を動かしている。
「ぱ…ぱ、る、ふぇ、く、と……っと。書けた!」
「It’s perfect!上出来じゃねぇか」
「やったー」
一緒にバンザイをして喜ぶのは、珍しく奥州の筆頭だった。
冬が終わったら会いに行く、という約束を果たしに来たついでにこうして南蛮語を教わっている。
「伊達のおかげで少し書けるようになった」
「アンタは筋がいいぜ。筆の扱いに慣れりゃ、もっと長い文章が書けるようになる。この辺りで一旦休憩だ」
「ありがとうございましたー」
ぺこりと頭を下げた時、抜群のタイミングで竜の右目が襖を開けた。
「お茶をお持ちしました」
「お、thank you小十郎」
「いえ。政宗様は把握していますが、ご友人は桜餅と汁粉のどちらが良いですかな」
「桜餅!」
「承知しました、しばしお待ちを」
奥州に到着したのは昨日の事だが、存外ここで過ごすのは快適だった。
男衆が多い国の方が過ごしやすいのは確かだ。
手鞠が屋根の上で眠ったり、日の本を行脚している事を心配して止めるのは大抵女衆だから。
そこを行くとこの独眼竜は、屋根で眠ると言った手鞠に「so cool!オレもガキの頃は良くやったもんだ!」と言って同じように眠ろうとした所を小十郎に止められている。
何にせよ、詮索されないというのは気楽だ。
「伊達はしばらく何もないの?」
「予定らしい予定はねぇな…怪我もようやく癒えてきた所だ。そろそろ体を動かさねぇと訛っちまう」
「冬の間ずっと寝たきりだったもんね」
「思い出したくもねぇぜ…アンタに貰った宝物も、その時に奪われちまうしな」
この地に会いにやってきた時、手鞠を見た政宗は一瞬顔を輝かせた後、申し訳なさそうに俯いた。
そしてあの赤い硝子の破片が奪われてしまったことを話した。
手鞠はその破片を誰が奪ったのかを知っていたし、怪我の程度から見ても相当な叩かれ方をした事が分かっていたので、勿論笑って返事をした。
元々、自分が手放したものだ。
「アンタ、未練はあるか?あるなら、責任をとってオレが取り返してやるぜ」
袴姿で自分の斜め向かいに座っている政宗は、真っ直ぐな瞳でそう言った。
それを見れたから、手鞠は元気に首を振る。
「いいよ。あれは大事だったけど、大事に出来ないかもしれないから伊達にあげたの。そんな風に言ってもらえるだけで十分」
「どういう意味だ?」
「んっと…大事な物って、どう大事にしたらいいか、難しいんだよ。壊れないでいてほしいと思うけど、どうしたら壊さないでいられるか分かんない」
しまっておく場所も持ってないしさ、と手鞠は呟いた。
「だから私が大事にできないなら、誰かに大事にしてもらおうと思ったんだ。それが伊達だった」
「…そうか」
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