毛利元就 | ナノ


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「爺様、今日は晴れて良かったなあ」



間延びした、呑気な孫の声が聞こえる。
手元の彫り仕事から目を離さないまま、市右衛門が曖昧な返事をした。



「鐘を鳴らし終わったら爺様も祭りに繰り出すんだろ?あまり飲みすぎるんじゃないぞ」

「五月蝿いねえ」

「俺は心配をして言ってるんだ」

「お前は嫁のきてでも心配してな」



大抵こう言うと、孫の橋之助はそれ以上に言い返さず、呆れた顔で工房を出て行く。
その背中を見ながら小さく息を吐き、手元の彫刻刀を置いた。
戸が開かれたままの工房の出口から照りつけるような日差しが射し込んでいた。

日輪祭の日は、いつも突き抜けるような晴天と決まっている。
元々この国は晴れの日が多いし、毛利家当主には天候を左右する力があると信じられているので、今日の天気を心配する者は誰もいなかったが。

いつも始まりは厳かだ。
司祭達が供物を捧げ、元就が祝詞を読み上げる。
その後、巫女達による伝統舞踊が終わるまで、誰もその場を離れてはいけない。
最後に十の鐘が鳴り終わると日輪へ黙祷を行い、晴れて全ての儀式が終わる。

市右衛門はその鐘を鳴らす役割を何年も担ってきたので、儀式の終わる様と、その直後から始まる盛大な祭りの賑わいを、まるで書物の巻を跨ぐように見てきた。



祭が始まると、誰も彼もが家を飛び出し浮かれた足取りで中道を練り歩く。
自国にはこれ程人がいたのかと改めて思い知らされるほどだ。
鐘をつく見晴台からは離れた町の様子がよく見える。
それと同時に、屋敷の様子も見えるのだ。

儀式が終われば役職についている武将らも町に繰り出すため、屋敷と海辺からはほとんど人がいなくなる。
いや、たった一人だけいる。

元就だけは、いついかなる時も祭りに交わっていくことはなかった。
御堂のある砂浜から遠くに見える町の賑わいを見つめるだけ。
だから、市右衛門にだけはこの国の温度の違いが、陽気さと静寂が隣合っている様子が分かった。



町では皆陽気を顔に書いたような表情で、手には様々な屋台の品物を抱え、滅多にないハレの日を謳歌する。
酒を飲み、笑い、踊り、食べ、時には歌って。
安芸の国の安泰に、変わらず恵みを与えてくださる日輪に、敵国を寄せ付けない我らが国主への感謝に酔う。

嗚呼それなのに、それら全ての生ぬるい熱気を伴った賑やかな空気は。
元就の表面を撫でるようにすり抜けていく。
朝露が葉の表面を転がり落ちていくように。

笛の音も太鼓の賑やかしも、供えられた食物も、踊り続ける民の一人に至るまで、全て作り上げた祭りの大司祭でありながら。
市右衛門の見る限り、この国のどこにも元就の居場所は見つからない。



百鬼夜行の如く連なった豊穣と祝祭のパレヱドは、この人を一人置いて、どんどん先へ進んでいく。
振り返ることもしない。
元就も、それを当然のように見つめている。

全ては捨て駒。
代わりのきかない者はいない。
戦の兵も、大臣達も、馬役も女中も職人であろうと。
そう、元就自身さえも。

安芸の国の美しさは

そうやって保たれてきた。




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