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元親は命を奪い合った間柄であるとは到底思えないほど軽々しく笑い、去っていった。
ただし手鞠の横を通り過ぎる時は目を合わせたままジリジリと後退していく警戒ぶりだった。
その時はそれで終わったが、それ以来毎日日が昇るとこうして安芸に入り込んでくる。
「どうだ毛利、取引する気になったかよ?」
「永遠にならぬな。さっさと消えよ」
「まあいっぺん考えてみろって、中身も読んでねえんだろ?」
「読むも何も、まだその砂浜に刺さっておるわ」
「いい加減拾いやがれ!」
ったくよぉ、とぼやきながら刺さったそれを拾い上げる。
一昨日からそこにあったので、潮の満ち引きで巻物は風化していた。
「んな事だろうと新しいのを持ってきたぜ。前も言ったが、損はさせねえよ」
懐から新しい巻物を取り出し、元就へ押し付けた。
こちらは相当猜疑心の塊のような表情でいるというのに。
「あ、長宗我部が来てる!」
烏の行水と名高い手鞠が戻るや否や叫んだ。
「おう手鞠……何で髪濡れてんだ?」
「湯殿行ってきた」
「ああ、俺もそろそろ入るかあ」
そしてこの三日間で、なぜか二人は打ち解けてきた。
元就に命じられればすぐに攻撃態勢にはいるが、そうでない限りはよく話し、雑談を繰り返す。
本気で長宗我部とやり合われては手鞠の情報が露見すると判断し、適当に相手をして追い返せと言ったのは確かに自分なのだが。
「あばよ手鞠、また来るぜ」
「分かった」
分かるでないわ、とまた元就から輪刀で殴られたけど。
元親が乗ってきた船は相変わらず巨大で、豪奢で、荒々しい。
今まで色々な港で見てきた船とはまるで違う。
しばらく船が出ていくのをぼうっと眺めた。
大分時間をかけて見送っていた事に気づいていたので、振り返った先でまだ元就が立ち尽くしていて驚いた。
てっきりもう仕事に戻ったと思っていたのに。
「元就様?」
元就の視線は、その手元にある巻物に吸い込まれていた。
元親が取引内容だと言って投げ渡してきたそれは、さっさとその辺に打ち捨てられるだろうと予見していたのに、予想外にも隅々まで確認されている。
そのうち、小さく舌打ちが聞こえた。
それで手鞠は、あ、良いものが書いてあったんだ、と分かる。
元就が舌打ちをするのは自分の思い通りに相手が動かなかった時だ。
「小賢しい真似を……取引とは何かを考える頭がよもやあの海賊にあるとはな」
そう呟き、僅かにこちらへ目線をよこす。
「我は暫く籠る。その辺で潮干狩りでもしていろ」
「はーい」
何かあれば呼ぶため、遠くに行くなと言いたいのだろうと解釈する。
あの巻物の内容は、余程元就にとって審議が必要なのだ。
まだじっと考えるという事が苦手な手鞠は、言われた通りにその辺りの砂を引っ掻き回しながら頭を動かす。
手を動かしながらであれば頭も少しは動かせるということが、ここ最近で分かってきた。
考えたり、予想したり、思ったり、悩んだりすることが、大事な時がこの先にきっと来るのだ。
自分がどうしたいのかとか、何故こうしたいと思うのかと言うことを、もっとよく分かっていかなければいけない。
最近はそう思うようになった。
元就がいつもそうして、手鞠の本質的な部分をさらさらと教えてくれるから。
しかし長らく物事を考えてこなかったため、そんな訓練が長く続くはずもなく。
「……あ!あさり見っけ!」
そのうちにさっさと言われた通りに潮干狩りに移行した。
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