毛利元就 | ナノ


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やがて日が沈み、夜が海の上を覆った。
黒々とした波飛沫の音を聞きながら、元就はある場所へ向かう。

三日前から眠らぬ体。
飯を食わぬ口。
そんなものは到底手鞠とは呼べない。
頭の中がぐるぐると思考で渦巻いていたが、深く考える事をやめて屋敷の端にある工房を訪ねた。
昔から屋敷の多くの彫り物を手がける職人の住処だ。

ここに度々手鞠がやって来ていると、風の噂で聞いていた。
案の定、工房にはあちこちに灯が点っており、聞きなれた声が会話をしている。



「…なあ手鞠、三日も食わず眠らずではいずれ倒れてしまうぞ。医者の鉄斎様なら馴染みがあるだろう、診てもらえ」



橋之助が立ち上がったまま熱心に説得していた。
その口ぶりではどうやら、自分の意思で断食や断眠をしている訳では無さそうだ。
一方手鞠は、何か彫り物をしながら大げさに首を横に降っている。



「やだ、知ってる人でもお医者はやだ。私は元気だし行かなくても大丈夫」

「そんな元気は今だけだろう。大人しく行ってきなさい」

「いやー!」



優しくたしなめる市右衛門の言葉も、駄々をこねる子どものように聞き入れない。
相当な嫌がりようだ。
橋之助がどうにか引きずっていこうとしているが、亀が食いつくように畳にしがみついて離れない。
やれやれ、と市右衛門が肩を竦めていた。



「これ手鞠、いい加減に――」

「あ!元就様!」

「何っ?」



その目が入口の影に立っていた自分を見つけ、がばっと跳ね起きる。
橋之助のそれ以上の進言をまるっと無視して、嬉しそうに笑いながら駆け寄ってきた。



「元就様、お仕事?どこに行けばいい?」



その顔はこれ以上の追求を逃れられるという喜び半分、眠らないために持て余した夜を潰せるという喜び半分と言った所だろう。
恭しく頭を下げる市右衛門に、構わん、と呟いてから足元に駆け寄るこれを見た。

自分がこれに何かを施す義務は、無い。
元親に対する功績は大きいが、元就以外の誰も知らない事であれば、表立って評価する必要さえなかった。
これが夜を越えるか越えないか等、自分にとっては全く些末で、矮小な出来事。

それでも。
こちらへ駆け寄ってくる時、翻った袖からわずかに見えてしまった。
両手首に残る、擦れたような縄の跡を。

先程から手鞠を説得していた橋之助は、あの夜に手鞠を送り出した際の事を、こう語って聞かせたのだ。




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