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あの襲撃の次の日には、手鞠は何事も無かったかのように元就の前で過ごしていた。
朝に仕事を聞きに来て、昼前にいなくなり、昼過ぎに元就が日輪へ祈りを捧げるのを見張り、また明日と言って夜の中に去っていく。
今までと何ら変わらない、ふやけたような笑顔を浮かべて。
気の抜けるような声で訳の分からない事を宣いながら。
だから自分も考える事をやめようと思った。この答えの出ない押し問答を続けていても、手鞠が夜の闇を裂いて駆けつけた理由は分からない。
それよりも此度の働きを評価し、適当に報酬を上げてしまえば収まりもつくだろうも考えた。
それが三日目に出した結論だ。
「おい、手鞠」
「はーい」
今回は後ろからすぺぺぺと走ってきた。
相変わらず軽やかな足取りで。
振り返って見下ろす元就へ、何ら特別な視線を向けることは無い。
しかし、今日はその薄緑の小袖を紐でたくしあげていた。
近くにはこちらへ仰々しく頭を垂れる女中の姿がちらほら見える。
「……貴様、どこにおった」
「女中さんと夕ご飯のあさりをとってたよ」
ゴンッ
「あた!」
「我の命じた仕事をしておれと、あれ程……」
ぴたりと元就が口を閉じた。
しばらくしても再び話し出す様子がないので、手鞠が近づいてその顔を覗き込むと。
もう一度輪刀で殴られた。
「てっ!」
「……我は用を思い出した、さっさと去れ」
「えー」
不満そうな手鞠をしっしと追い払い、その背が見えなくなるまで待つ。
そのうちまた別の女中に呼ばれ、屋敷の中に消えた事を確認して。
「おい」
「え、はい」
手鞠が抜けた後も変わらず潮干狩りをしている女中の一人へ声をかけた。
周りの女中は突然殿が声をかけた事へ驚いているが、当人はのんびりと振り返る。
「……あれに、何か変わりはあるか」
「あれというんは…手鞠ちゃんですか」
「他に誰がおる」
「そうですよね…はて、特に何も言ってやしませんが……」
そう呟きかけて、あら?と首を傾げる。
「そう言えば最近、食べも眠りもしておりません」
「……何?」
「いえ私、飯炊き女ですから、手鞠ちゃんの飯も作りよるんです。ですが最近、いらないんだと一点張りで」
「…夕餉の献立を戦の間に考えるようなあの女がか?」
「はい……夜の見張りの人も、屋根で寝ている手鞠ちゃんを見かけないとかで。何でも夜中じゅう海辺をぶらぶらしていると」
先程手鞠を輪刀で殴った時、まるで手応えが軽かった。
普段よりもあっさりと、まるで紙のように砂浜に叩きつけられていた。
食事もとらず、眠りもせずにいたからなのだと聞いて驚き呆れると共に、手鞠の体に関する問題を初めて見たことに気づく。
今までに軽い怪我をすることは多々あったが、放っておけば自分でどうにかして、また普段のように戻っているのが常だった。
しかし食わず眠らず、という事は初めてだ。
いつからそのような様子なのか、尋ねると女中はゆっくりと指折り数えて。
「豊臣さんが襲って来た夜からだから……もう、三日になりますね」
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