▼
嫌というほど分かっていた。
決して考える事を止めない脳が、もう何十回も計算し尽くした後だ。
恐らく狼煙を見たであろう手鞠が今いる場所から、二つの山を超える時間を測ることなど容易い。
常人の足と比べ物にならないと分かっていても、どれだけ甘やかして算盤を弾いても、あれがここへ間に合う見込みはなかった。
「……あれが馬に乗れぬと、どこで知った」
「あの軍師様は何でも知っててな。どう足掻いても、朝にならねえとあいつが帰ってこれない場所があの山の向こうだ」
その台詞を述べた時だけ、元親が眉間に皺を寄せた。
吐きたくない物を吐き出すように。
口の中に苦い味が広がっているように。
「……約束したんだってな。中国に相応しくなくなったら、あんたを殺すと」
「……それがどうした」
「丁度いいじゃねえか、それが今だ。そうやって部下を遠ざける奴は、誰にも守られねえんだよ!」
大きく一歩踏み込み、渾身の力で銛を横から振り倒した。
咄嗟に元就も輪刀で受けたが、横の面からまともに衝撃を喰らい、両手首に電流が走る。
「くっ……我はそれで構わぬ!兵など駒よ!」
「五月蝿せえ!」
ふと力を緩めた直後に再び横振りが襲いかかり、今度こそその手から輪刀が投げ出された。
そのまま後ろの壁に力強く叩きつけられ、一瞬火花が飛んだ視界の端で、床を滑っていく輪刀が見えた。
「くっ…!」
「あばよ、毛利!」
元親が頭上まで銛を大きく振りかぶるのが見えた。
横に薙ぐのではない、縦切りは全ての急所を引き裂くとどめの大技。
目を開いているはずなのに、その瞬間の動きだけが数秒、ゆるりと止まっているように見えた。
最期の瞬間というものは皆そうなのか、少しずつ白く広がっていく視界の中。
まるで小さな火花のように、喉の奥で、あの名前を呼んでいた。
「……ぁぁああああ!!」
びくりと体が跳ねた。
その咆哮が耳に届いた瞬間、白けていた視界に一気に色が戻る。
外から跳ね飛ばされる襖。
躍り出る体。
見覚えのある槍。
視界が薄緑に染まると同時に、破裂音が響いて。
目の前に手鞠が立っていた。
眼前まで迫った銛の三股に槍を通し、火花が散りそうな勢いでかぶりついている。
「なっ…!」
それは思わず呟いた自分の声だったのか、それとも目の前に突如人間が現れた元親の物だったのかは分からない。
しかしそれは恐ろしい力で目の前で交差する銛を押しとどめ、その槍の狭間から元親を睨みつけていた。
「手鞠ッ、何でここに…!」
獣の咆哮が響いた。
銛と組み合っている槍はそのままに、手鞠の口からその怒声が発されていると分かった時には既に体が固まっていて。
手鞠がぐりんと頭を左に引き下げると、そのまま勢いを殺さずに右足のバネで思い切り元親の鳩尾に踵を叩き込んだ。
prev / next