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一休止入れるのも兼ねて部屋から足を踏み出した。
海岸沿いに建てたこの御堂には執務へ集中するために一人も家臣を置いていない。
その点は、こういう時裏目に出る。
細かな雑用を言いつける相手がいない。
仕方なしに内側から鍵を開け、部屋の周りをぐるりと見渡せば、この御堂から海辺に座り込む緑の小袖を見つけた。
元より遠くへ行ってはいないだろうと見当はつけていたが。
「……よし、出来た」
「……何をしておる貴様」
「うわっ」
よもやどこからわき、そしていつの間に倒したのか、郎党と思われる者達の体で文字を作っているのは予想出来なかった。
「あ、元就様か。びっくりした」
「……こやつらはどうした」
「何かさっき刀抜いて元就様の御堂に走ってったから、怒られるよって止めたんだけど、あんまり話を聞いてくれなくて 」
だから力づくで止めた。
でも止めた後に退屈がやってきた。
だから気絶中の当人達で遊んでみた。
「かのような暇つぶしをする阿呆は初めてよ」
「でも毛利の『毛』を作ってみたんだよ」
「…下の払いが多少足りぬ」
「あ、ほんとだ」
きちんと修正させ、よしと頷いた時点でようやくここに来た理由を思い出した。
「…貴様、名は何という」
「名前?」
「単騎乗り込みをさせる駒には呼び名が必要よ」
「名前はそんなに決まってないよ」
と、また微かに意味不明なことを言い出す。
「いろんな人が好きな呼び方で呼ぶからたくさんあるよ。遊子とか寝子とか小槍とかあるから、元就様の好きなのでいいよ」
名前がない。
それはどうにも理解し難い奇妙な感覚で、元就が微かに眉をひそめた。
それでも目の前で変わらず楽しげに笑っている存在は全くそのようなことは気にしていないらしく、跳ねたり手足を動かしたりしている。
まだ時間をかけるべきだ。
頭の中の何かがそう告げた。
「…ならば手鞠で良い。今日よりそれ以外の名を名乗るな」
仕事を与えてやる、とだけ告げ、来た部屋へ踵を返し歩き出した。
後ろから弾んだような返事と、郎党共を引きずってくる音が遅れて聞こえた。
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