毛利元就 | ナノ


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手鞠の中から、苦しい、という感覚はずいぶんと前になくなった。
ただほんのわずかでもこの足の速さを緩めれば、この呼吸を乱してしまえば、もう取り返しがつかなくなる事だけは分かっていた。
石の露出した不安定な足場が酷く憎たらしい。

こんなにも周りの景色は目まぐるしく進んでいくのに、右側に浮かぶ海の向こうの安芸はほとんど近づいてこなくて、また頭の警報を鳴らそうとする。
一つ目の山を越えた辺りで日は沈んだ。
二つ目の山の頂上に差し掛かった辺りで月が登った。
山にはもう、自分の荒い息遣いしか響いていない。

こうならないために自分はずっと近くにいたのに。
呼ばれれば駆けつけて、命じられれば従って、はたかれても投げられても何も気にしないで、そばにいたのに。



……どうして、そこまでして、守っていたのだっけ?



そんな考えも、痺れ始めた脳と夜の静寂によってかき消されていく。
全く近づいてこない安芸の屋敷から上がっていた狼煙は、もう消えてしまっていた。










――――――……


襖を開けて入り込んできた男の顔は、行灯の灯りが届かない場所にあり、よく見えない。
しかしそんな事は関係なかった。
その服装が、笑い方が、声が、巨大な銛が、その男の名前を雄弁に語っていた。



「……やはり貴様であったか、長宗我部」



名を呼ばれた当人は、閉じた襖にもたれかかりながらにやりと笑った。
海に面した道を進む一揆勢。
馬以外でその異常な早さの移動を可能にするものがあるなら、船以外に何があるだろう。



「海賊が農民の船渡しか。落ちぶれた者よ」

「…全くあんたって奴ぁ救いようがねえな」



さっぱりと笑いながら言ったが、その声は地を這うように低かった。



「あれだけ嫌悪していた豊臣につくとは、貴様も馬鹿なだけではないようだな」

「奴さんとは目的がかち合っただけだ。俺はあんたみたいなのを、どうにも許せねえ質でね」



海の風が舞い込み、行灯の火を微かに揺らした。
それだけでこの室内の空気も揺れる。
外では遠くから微かに、戦の鍔迫り合いの音が聞こえてきた。



「あんたは絶対に来ると思ったぜ…結末が見えりゃあ駒に任せて、自分はさっさと引っ込むだろうとな」

「…これが、竹中の策に乗るのと引換に、貴様が望んだ事か?」

「おう。あいつらはあんたを痛めつけて、石田の模擬戦も出来る。俺は駒とやらに邪魔されずにあんたを殴って、中国も手に入れられるって寸法よ」

「……何を言っているのか、」



甚だ分からぬ、という続きは、目の前に突きつけられた銛に引きずられた鎖の音で掻き消された。



「……鬼ヶ島の鬼は、欲しいもんは何が何でも奪い取る。逆にいらねえもんは、何もかも消し去るのよ」



単純だろ、と笑うその口元と、その反対の感情をありったけ載せた鋭い眼差し。
刀を抜く事以外許さない、怒りに満ちた双眸で。



「……お前はここにいちゃならねえ。引導を渡してやるよ」




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