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調理場。
「何が欲しいか?俺は新しい包丁だな」
「俺は鼻の下が伸びるような美人が良いねえ」
港。
「お上から貰えるんなら何でもええべな?」
「んだなあ。けんどもやっぱり金でねえか?米とかな」
「まあ腹にたまるもんだな!」
女中部屋。
「あたしだったら、上等な着物だと嬉しいねえ」
「でもどこに着てくって言うんだい?」
「夢見るくらいいいじゃないさ」
「私は南蛮のお菓子かしら。ほっぺたが落ちるほど甘いんだって!」
馬小屋。
「おら達は馬が生きがいだからな、立派な鞍でも拵えてもらったらそりゃ嬉しいな」
「おらはもうちっと良い餌だな、藁ばっかりでは馬力も出ねえよ」
「ま、貰えりゃ何でもいいがなあ」
「違いねえ」
今まで聞いて回った答えを、何度も何度も頭の中で繰り返し思い出してみた。
何が欲しいか尋ねられた人々は皆、本当に願いが叶う訳では無いと知りながらも、どこか楽しげに答えてくれた。
ああでもないこうでもないと。
波打ち際にしゃがみ込んで遥か遠くの地平線を見やる。
飲み込まれそうなほどの海の広さと青さ。
そこにぽつんと存在する御堂の扉が重々しく開き、今日初めて目にする元就の姿が中から現れた。
今日は兜こそ被っていないが、薄緑の衣装はそのままで、毛利軍の色はなぜ薄緑なのだろうと関係の無い事をぼんやり考えた。
ゴンッ
「てっ」
「何を惚けておる、阿呆。望みは決まったか」
たった今兜も被っていないと言ったのに、一体どこから輪刀を取り出したのか。
もうこの痛みにも大分慣れてきてしまった。
「うーん、それが……」
「よもや決まっていないとは言うまいな。この我が一日時間をくれてやったのだ」
「うー、それが人のを聞いてたら余計ごちゃごちゃしちゃって」
殴られた頭をさすりながらため息混じりに言った。
「私は欲しいものが無いから」
その瞬間、元就の体がぴくりと反応したように思えて、思わず頭を撫でる手が止まった。
「……無い筈があるか」
「うう、無いわけじゃないんだよ。大事なものや好きな物はたくさんあるよ。安芸の国と、海と、元就様と……ご飯も好き、女の人といるのも楽しいよ。でもね」
「本当に欲しい物なんて、何にもないなあ、って」
折角くれるって言ったのにごめんなさい、と元就を見上げた。
何かしらの罰や小言は覚悟していたのだが、意外にも、向こうは言葉もなくただこちらを見下ろしている。
「……元就様?」
覗き込むと、ハッと気がついたように顔を上げた。
それでも次の瞬間には普段通りの表情がおさまっていた。
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