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正直に言うと、竹中半兵衛という名前に全く聞き覚えはない。
そんな様子を微塵も隠さない手鞠にも、相手は気にしていないようだった。
この先も道が不安定である事を伝えると、少し渋っていたがすぐに馬を降りる。
「あまり体の調子が優れなくてね。馬なら楽だろうと思ったのだけど」
「ここには初めて来るの?」
「いや、何度か来た事があるよ。ただその時は違う道から来たり、秀吉に乗ったりしていたからね」
「へえー」
途中よく分からない単語が出てきたが、とりあえず聞き流した。
安芸の入口まで案内してくれと言われれば、断る理由もないので横に並んで歩く。
「貴様、竹中様の前で敬語の一つも使わないとは…」
「いいんだ、僕と違って元就君はあまり躾をしないからね。この子の責任じゃない」
「ごめんなさい」
「構わないよ」
会話の最中にも、時折顔を背けて咳をする。
調子が良くないというのは本当のようだ。
「君みたいな子といると元気を貰えるような気がするよ。顔が見えないのが残念だけれどね」
あ、と覆面を付けていたことを思い出す。
客人に顔を見せないように、と言う理由がようやく分かった。
違う話題に切り替えようときょろきょろすると、自分のすぐ横を歩く馬が目に入る。
黒毛の締まった体を持つその馬は赤い鞍を付けており、しっかりと手入れをされていることが見て取れた。
「すごく立派な馬」
「そうだろう、豊臣の馬役が育てた一人前の軍馬だ」
帰ったら山道の訓練を追加しなければならないな、と呟いて。
「ああ、君ならこんな山道でも馬を操って進めそうだね。乗ってみるかい?」
優しい微笑みを浮かべながら、ついその思い付きを口にしたのだろうけど。
それを聞いて、手鞠がさあっと青ざめる。
「私馬に乗れないからいい…」
「おや、意外だね。あれほど馬を扱えるのに?」
「うん。乗って走ると体がふわふわ浮いたり、ガクガク揺れたりするから、すごく気持ち悪い」
「……感覚的すぎてよく分からないけれど、まあ分かったよ」
そうこう話している内に、安芸の屋敷の入口が見えた。
その先にいる、つい通りがかった薄緑の鎧も。
「あ、元就様ー」
ぶんぶんと手を振って呼びかけると、ふいに元就の顔がこちらへ向き、特に珍しくもない者を見た顔つきから。
途端に眉間に皺を寄せ、渋い表情へ変化した。
「……来たか、竹中」
「やあ元就君。相変わらず負の表情は豊かだね」
「貴様も仮面のような顔に変わりがないな」
まあ良い、と呟き、不意に手鞠の方を向いて。
ゴンッッ
「あたっ!」
「……何故こやつと貴様が並んで来る。見張りをしろと言ったであろう」
「見張ってたら向こうから来たんだもん…」
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