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手鞠がどこかから畳床机を持ってきたので、そこへ腰を下ろした。
手鞠は近くの砂浜に座り、つんできた大きな葉の上にもいだ梨を並べた。
梨はどれも違う大きさだが丸々としていて、人の手が届かないのが惜しいほどだ。
まだ口のついていない方に齧り付くと、ジャクッとみずみずしい音がして、梨の香りが口内に広がる。
体中へ水分が染み渡る心地がした。
水菓子をそのまま齧るなど久しくしていなかったが、何日も飲まず食わずの体には最も良い物のように思えた。
手鞠はすでに三個目の梨に取り掛かっている。
「……日頃からかような物を食べているのか」
「うん。後は魚をとったり…あ、今もとっててそこの生簀に入れてあるんだけど。お手伝いをした家がご飯をくれたり、橋之助の所がしょっちゅう食べさせてくれたり」
そんな感じ、と笑った。
こちらが梨を食べ終わったのを見ると、また新しい梨の端を少しだけ齧り、手渡してくる。
すでに知っているのだろう。
なぜこんな所に梨を食べに来たかなんて。
(もう毒味役を志願する者がおらんな……)
(いずれ必ず毒に当たるからな、そりゃいなくなるだろう)
(あの、いやに丈夫な娘はどうだ?死んでも困る者はおるまい)
(ああ手鞠か?あれは毒に当たっても平気だろうな)
(はは、毒食って死ななけりゃ毒味の意味が無いわ)
(確かにそうだ、全く笑えないな)
もしもこの梨に毒があるなら。
食せ、と言われて差し出された時、これはどんな顔をするのだろうか。
そう考えてみても、これが困った顔や戸惑う顔をほとんど見たことがなかったので、変わらず間抜けな顔で笑い、毒を口へ運ぶ姿しか想像出来なかった。
「ここ数日、何をしていた」
「うーん…この辺りを見回ったり、漁を手伝ったりしてたよ。後は海を見ながら、なんか色々と考えてた」
「貴様に考えるという選択肢があったのか」
「そうなんだよね。今まで自由にぶらぶらと過ごしてて、そんな事しなかったんだけど……」
言葉を途中で切り、顔を上げた。
そうして果てなく広がる安芸の海を、少しだけ目を細めて見つめる。
「ここは時間がゆっくりだから、きっと考えちゃうのかな」
本能のままに生きているようにしか見えないこの生き物が、何を考えると言うのだろうか。
普段から考えつくもの全てを口に出しそうな見てくれをしているのに。
「元就様は何をしてたの?」
「決まっておろう、執務よ」
「長かったね」
長かった、のか。
自分でそんな事を考えたことは無かった。
周りに言われた事も。
「元就様、梨足りる?もっと取る?」
「いや、流石に口の中が甘ったるい。塩気のある物を寄越せ」
「……嗚呼、魚かあ」
「さっさとしろ」
「はいはいー」
確か数えて、三日は御堂に入っていたはずなのになあ、と呟きながら火を起こし始めた。
それだけ飲まず食わずなのに、人の会話の内容を忘れない記憶力は全く衰えないのだ。
気持ちよさそうに泳いでいた生簀から魚を取り出し、その口から枝を差し込む。
そんな手鞠の姿を眺めながら、ぽつりと呟いた。
「……今後も、魚を捕らえておけ」
「え?」
「……また我が倉にこもった時は、そうせよ」
「はい」
目の前で不思議そうに頷く。
それでいい、と思った。
この考えが分かるのは自分だけでいいと、言い聞かせる。
それでも焼きたての魚はどこか懐かしく、齧り付いた梨の甘さは幼少の頃に戻ったようで。
あのような悲惨な時代の中でも、覚えているものはあるのだな、と。
傾きかけてきた太陽と、黙々と魚を焼き続ける蒸気した手鞠の顔を見比べているうち。
一体何に苦しんでいたのか、すっかり忘れてしまっていた。
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