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「ぐ、ぅ」
自分の目の前で見慣れた男が喉を抑えた時、嗚呼、と思った。
珍しくもなく、特別でもない。
ただ運が悪かったのだろう。
そのまま喉を掻きむしる男を前に、周りが騒々しくも慣れた動きで声を出し始めた。
「顔と喉に印あり、何を食した?」
「米と汁は何ともなかった、魚で泡を吹き始めた」
「調理場を抑えろ、 野菜一つ動かすな!」
「嘔吐、喉の腫れ、からの息詰まり、喀血……根の毒であるな」
男はすでに体も起こせないほどに脱力し、顔は赤面から土気色に。
吐き出した泡は次第に血が混ざり、首を自分の体から引きちぎらんばかりに掴みかかっていたその体は。
そのうち、少しずつ動かなくなった。
「元就様、如何致しましょう?」
この後の流れなど聞くまでもなく皆が知っているが、それでも尚口を開いた。
「この男の身内に文を出せ。いつも通りの金子を添えてな」
「は、」
食膳と共に下げられる男の亡骸を後目にその場を離れる。
この流れを見るのは月に入ってから三度目だ。
見慣れる訳では無いが、最早特別な出来事とは思っていない。
「見たかよ、目の前で毒味が死んでも眉一つ動かさねえ……」
「……もうあの方は人ではないのかも……」
そんな声が聞こえてくるのも、また特別ではない。
最初は聞こえる限りの声を処していたが、人の口に戸は立てられないと良く言ったもので、全く減る様子が見られないのでとっくに止めた。
瞼を閉じ、幾つか戦術でも数えていれば、すぐに心の波は消えていったからだ。
「……我は籠る。蔵に人を近づけるでない」
「お、お食事は……」
「いらぬ」
そうしてこの部屋に閉じこもってしまえば。
少なくとも執務以外の事を考えずに済んだ。
そうして朝も夜もなく、余計な事が頭の容量を占める前に、戦と執務と処罰の事で埋めてしまって幾日が経ったのか。
気がつけば、こうして暗闇で眠りに落ちていた。
飲まず食わずを求めた訳では無いが、成り行きでそうなってしまう事が多くなってきたこの事実は。
何によって埋めれば考えずに済むだろうか。
普段よりも重たく感じる頭をどうにか持ち上げ、仕方がなく自分が閉じこもっていた室内の扉の鍵を開けた。
その僅かな隙間から、外を埋め尽くしている日輪の光がすぐに射し込む。
……体力の落ちている自分にはいささか暴力的かもしれないが、仕方なし、一歩外へ踏み出した。
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