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「何だ?あんた、毛利を怒らせたのか?」
「うん、私が元就様が保存しておいたお餅を全部食べちゃったんだ」
手鞠が少し俯いて答えた。
分かりにくいが、どうやら少し気落ちしているらしい。
「……あいつ、餅が好きなのか」
「うん。でももち米が尽きちゃってたのを私は知らなくて。取っておいてあったのに食べちゃった…」
「……事情は分かったが、餅と俺の目玉を同じに見るんじゃねえよ」
「私の命と長宗我部の目玉は餅より軽いよ?」
「マジかよ……修羅の国じゃねえか」
しかし、その話を聞いて一つ思いつく事があった。
「おい手鞠、俺はあんたと話がしたくてここに来たんだ。なあに少しの間でいい」
その代わり、と自分の後ろに控えている巨大な船を親指で指した。
「この船には大量の食べ物が積んである。その中のもち米を、あんたにくれてやってもいいぜ」
「……本当?」
「海での取引に嘘は言わねえよ。だからあんたも目玉を狙うのは止めだ。いいな?」
出来るだけ冷静さを装ってそう話すと、手鞠は大きく頷いて槍を背に戻した。
ようやく大きく息を吐くことが出来た。
巫山戯た会話しかしていないかもしれないが、この目玉を狙う時に見せる手鞠の素早さは本物だ。
地の利があり、小回りが必要な厳島では恐らく勝ち目はないだろう。
「……よし。とりあえず、今日の所は俺も手出しをしに来た訳じゃねえ。そこん所は分かっておいてくれ」
「わかった。元就様を呼ぶ?」
「いや、さっきも言ったが、俺はあんたと話をしに来た」
きょとんとした顔でこちらを見上げる。
改めて見ると、やはり子どもと大人の狭間にいるような姿形をしていた。
薄緑の小袖。
白い半股。
背中の槍は頭よりも高く、決して巨大ではないが、それなりの重さがあるだろう。
二月程前から、突然毛利の近くに現れたこの存在を、よもやまだ見続ける事になるとは思わなかった。
捨て駒が捨てられずに生き残っているなら、それは何と言うのだろうか。
「鬼さん、元親って言うんだってね。どっちで呼んだらいい?」
「好きな方で構わねえよ、鬼と呼ばれるのも悪かあねえ。それより、あんたの手鞠って名前も変わってるな」
「うん、元就様が付けてくれたんだ」
「……あの鉄仮面がか?珍しい事もあるもんだ」
駒に名前はいらない。
兵達を駒としか呼ばず、戦をまるで遊戯盤のように扱う毛利家当主を、駒の枠から外れかけているこの存在はどう思っているのか。
「……手鞠、俺は別にこの中国がどうなろうと、知った事じゃねえよ。お互い海を挟んで向かい合ってる、奇妙な縁だとは思うがな」
そう言ってぐるりと辺りを見渡した。
計算し尽くされた、美しい厳島の舞台を。
今日も柔らかな風が吹き、それにたなびく色とりどりの薄布達を。
「…だが、あいつのやり方は気に入らねえ。何もかもかけ違えてやがる。今のまま兵達を無下に扱い続けりゃ、締まるのはあいつの首だ」
「…元就様の?」
「嗚呼。自分に何が足りねえか、あいつが一番分かっちゃいねえ。中国を守る事以外で、あんた、あいつが生きている所を見た事があるか?」
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