現世のことはよく知っている。
現世にある物の名前や使い方、行事や季節について、たくさんのことを知っている。
でも、それだけ。

知識はあっても私の中には現世での思い出と言うものが何もない。
それでもただ一つだけ頭の中に残っている映像がある。



古い映写機のフィルムを通したようにぼんやりとしたそれを、よく頭の中で再生させた。








『浦原商店』と書かれたお店の横に捨ててあった段ボール。
ゴミとして捨てられていたそこにいた、一体のお人形。



(それっスか?捨てるんですよ。綺麗なんですけど気持ち悪いってお客さんから苦情が来ちゃいましてねぇ…。動くしやたらと何でも吸い込むらしくて)



店長らしい人の声は聞こえても、姿は思い出せない。
私はその人形しか見ていなかったらしい。




(え?欲しいんですか?別に構いやしませんが…お嬢さん、変わった人っスねえ)



長い人形の腕を持ち上げると本当に動いて私の首にぶら下がり始めた。
おどけているようで不思議と楽しくて、鏡に映る人形を抱いた私は笑っていた。

私はそのピエロのお人形にファイ君と言う名前をつけた。











*秘密は墓まで持っていく*













「今日からお主は名無しじゃ」



春にここにやってきた。
現世のことはよく知っているけれど、自分の名前は知らなかった。
親も、家も、何も知らなかった。

いつの間にかこんな所にいて、山本元柳斎と名乗る人に拾われていた。




「名前が分からぬのじゃから、それで良いだろう」





こうして、私は『名無しの名無し』になった。










私が連れてこられたのは「死神」と言う人間じゃない人達が集まる所らしいけど、私は普通の人間を覚えていなかったからあんまり戸惑わなかった。

私は人間なのに「死神」の力があったせいでここに連れてこられたと教えられた。
その時のショックで人間の頃の記憶が消えてしまったんだと。



元柳斎おじいちゃんと言う人は何かとよく気をかけてくれた。
元柳斎おじいちゃんが付けた『名無し』の名前が好きだと言うと、いつも目を細めて頭を撫でてくれた。

最初はもらった部屋でずっとファイ君と遊んでいたけれど、やがておじいちゃんに色々な隊長さんの所に連れていかれた。



 

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