名無しの今までの記憶はなくなっていた。
どう考えても生易しくはない一夜の出来事が彼女に与える影響は大きかった。





(私は何て言う名前なの?)

(お主は名無しとでも呼ぼう、本当の名前は分からぬ)

(私はどこから来たの?)

(現世じゃ、それ以外は分からぬ)

(私は誰から生まれたの?)

(さあのう、そればっかりは)











「…本当は全て知っておった、名無しが本当の名前だと言うことも。生まれた場所も親の存在も、名無しがここに来た本当の理由も。しかしわしに何が言えよう。記憶を無くすほどの現実を、なぜわしが伝えられよう」




本名を知れば、きっとあの子は調べるだろう。
親を知れば、きっとあの子は探すだろう。
居た場所を知れば、きっとあの子は辿り着くだろう。


そこで真実を知ってしまえば、記憶を無くすほどの衝撃を再び受けてしまえば、今度はどうなるか分からない。

だから何も教えないと決めたのだ。



例え目の前にある真実を偽りだと信じたままこの先を生きることになっても。

あるはずのない答えを探させ続けることになっても。








「じゃから、せめて生活する隊だけはあやつの好きにさせてやろうと思う。まさかお主の所を気に入るとは思わなんだが…まあそれもあやつの意思じゃろうて」

「おおきに」

「…頼むぞ」



一段と低い声で、一度だけ、元柳斎が呟いた。






「もうあの子を、一人にはしないでやってくれ」








その頼みにギンの首はうなずいて見せた。
とても素早く。



「当たり前やろ総隊長さん。僕がええっちゅう子なんやで」



やがてその口元が。

にいぃと笑った。







「ちゃんと一人にせんよう連れてったるわ。

――どこまでもな」





 

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