場所さえ分かれば、案外簡単に名無しは見つかった。
虚圏の端の端、この世界の果てとも言える場所。
底さえ見えない崖の淵で、名無しは佇んでいた。
「名無しー、無事かー」
一瞬あまりの動かなさにもう手遅れだったのかとも思ったが、呼ばれた本人は元気そうな顔でこちらへ振り向いた。
「あ、ギンさーん。ウルキオラー」
遠くから跳んでくる僕らへのんきに手を振って、ついでに笑顔のひとつも浮かべている。
いつもの名無しだった。
何も変わらない。
「お前何日も何してたんや、心配したやろ」
「え、もうそんなに経ってるの?」
「そんなにも何も、四日くらいは―」
「どこで何をしていた」
今までただ僕の後を付いてきただけだったウルキオラが口を開いた。
僕でも分かるような重みと凄みと、それらを押し殺そうとする冷静さを声に乗せて。
「ウルキオラごめんなさい。お仕事ほっぽり出していっちゃって」
「そんなことはどうでもいい。この数日何をしていたかを克明に話せ、一切の省略も認めない」
「えっと…人を探してたの、ずっと」
あ、人じゃないかもしれないけど、と付け足してから。
「この間ウルキオラがボウルを溶かしたでしょ。その後、いつもみたいに何だか凄く涙が出たの。ああまたどこかで誰かが悲しい気持ちになってるんだなって思って、探しに行ったんだ」
「探しに?」
「うん、何だか凄く近くにいるような感じだったから。今までは風に乗ってくるように涙が来たけど、もしかしたら今までで一番近くで誰か悲しんでるんじゃないかって思って、その人に会いたくなって」
だが、見つからなかったのだという。
歩けば歩くほど涙が出てくるから、きっと近づいているんだろうという確証は持てたけれど、行けども行けども見つからない。
そうしている間に、虚圏の果てまで来てしまっていたらしい。
「ねえ市丸様、この崖の向こうは現世だったりするのかな。それとも死神っていう人達が住んでる場所?」
「…さてなぁ、僕にもわからん」
「そっか…じゃあ、この向こうにいるのかな。その人、まだ悲しんでるんだよ」
そう言いながら、またポロポロと涙を目からこぼした。
当の本人はいつものことなのでさして気にせず、拭うこともせずに崖下の深い闇をいつまでものぞき込んでいる。
名前を呼ぼうとして、呼べなかった。
こんな偽物の世界の外に、どんな生き物もいないことを知っている。
じゃあこれは、誰の悲しみだと言うのだろう。
名無し以外の、誰の悲しみだと言うのだろう。
ああこの子は、こんな風にたくさんのことを見失ったんだ。
その涙が自分の物だと、気づけないような所まで。
「…なあ名無しちゃん、雪って知っとる?」
「ゆき?」
ウルキオラは知っとるよな、と話を振ると、今まで固まっていた体がぴくりと動き出した。
名無しが疾走した原因をどうやら理解したらしく、名無しが再び泣き出した頃には、もうその瞳から怒りは消えていた。
「雨の素が気温の低下により凍り、結晶化して地上に降る現象…です」
「んー正解なんやけどなあ、情緒が足りひんわ。雪が降るともう一面真っ白になって、ずいぶん綺麗なんやけど、物悲しくなるんやって」
「…悲しいの?」
「うん。ほんまに綺麗なもんって、少し悲しいもんなんやて。だからきっと外の世界に雪が降ってな、皆が皆少し悲しくなったんやろ」
だから私も悲しくなったの?と聞かれたから、多分な、と頭を撫でた。
そういえば、また少し笑った。
これが正しいのかは分からない。
けど、少しバツの悪そうな顔で名無しの笑顔を見下ろすウルキオラを見ることができたから、何かしら発展はあったのだろうと思う。
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