短編 | ナノ






「さっさと戻れ」



それだけ言って、踵を返して立ち去った。
翻る服の裾だけが屈んでいる名無しの頬を撫でていった。



「溶かされてしもたなあ」

「うん」



あんまり普通にこの子が頷くから、僕は少しも気づけなかった。
遙か下方、溶けたボウルが流れていった先を、ずいぶんと長く見つめていたことに。
それがいつも見せている興味や関心をたたえた瞳とは、ずいぶん色が違っていたことに。



次の日、名無しは虚夜宮から姿を消した。








どこにもあの子の姿はなかった。
屋根にも外にも偽物の木にも、調理場にも貯水池にも、ウルキオラにあてがわれている宮にも。

もちろん誰も話題にはしない。
普段からほとんど虚夜宮の外にいて姿を見せなかったあの子のことをそれなりに認知しているのは僕とウルキオラ、そして造り主の藍染さんだけだったから。





「なあウルキオラ、気にならんの?」

「何のことですか」



このところ僕が頻繁に接触してくるので大層嫌そうだ。
そんなことはお構いなしに背けられていた視界へ無理やり入り込む。


「名無しちゃん。もうずっと見とらんよ」

「俺の知ったことではありません」

「従属官やのに?」

「……ええ」



あくまでその姿勢を変えないので、ふぅんとだけ頷いておいた。
その代わりと言ってはなんだけれど、あの子の部屋を聞き出すことに成功する。
道のりを忘れたふりをしてウルキオラに案内させることも息をするように簡単だった。

想像よりも遙かに遠い道のりの後、想像よりも遙かに小さな部屋の前にたどり着いた。





「名無しちゃーん、おらんのー?」



返事はない。
真っ白な壁に埋まっている真っ白な扉を開くと、そこに名無しちゃんの姿はなく。

これまた真っ白な床に、等間隔に並べられた有象無象があった。



床以外に家具は何もない、机も、ベッドも。
ただその代わり、僕から見れば全く意味の分からない物達が床一面を埋めている。

ガラスの破片、一握の土、挽くのに失敗したコーヒー豆、藍染さんが与えた色画用紙とテープ、魚の鱗、刃の折れたナイフ。





「……あ」



その中に見覚えのあるものを見つけた。
茶色の枯れ葉。
いや違う、煤けて縮れた緑の画用紙。

以前にウルキオラが燃やした、あの子曰わく「枯らせた」、偽物の葉っぱのなれの果て。



(宝物箱に入れる)



ああそうだったのか。
この部屋が、宝物箱だったのか。







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