「水無月隊員を知らないか?」
「存じませんけど…どうかしたんですか?」
「いや、知らないなら良い」
通りがかりの九番隊の隊員に尋ねてもいぶかしげな表情をされるだけだった。
正午はとうに過ぎた。
午前だけが休みのはずの葵の姿は、未だ戻らない。
(……葵様?)
本降りになってきた雨の音にどうしようもなく不安を感じる。
その思いを振り切るように、殺那は廷内を捜し始めた。
途切れることなく雨音がなり続ける。
体にあたる雨粒も、隙間なく隊服を濡らしていった。
もし目が見えなかったら、雨は粒が舞っているのではなく長い糸のように繋がって降っていると思うだろう。
今はもう遥か昔のようないじめの初日、バケツに入った水を浴びてしまった場面を思い出した。
あの頃はまだ十番隊にいて、こんな悲しい事はすぐに終わるだろうと信じていて。
乱菊がすぐ近くにいた。
雨の日はめっきりギンの隊長室に押し掛けていたあの頃。
「…………」
ゆっくり空を見上げると、枝と葉の隙間から落ちてくるどんよりとした雨が葵の顔を濡らした。
きっと良々は化粧が落ちるから雨は嫌いだろうな、と思いながら化粧前の彼女を想像した。
(…誰も、通らないな)
一番人通りの少ない門から入ったのが悪かった。
精一杯首を正反対に動かすと、少し離れたところに居住区が見える。
そこからこちらに歩いてくる人は見受けられない。
ああこれだけ濡れたら今日はお風呂に入る必要ないかもしれない、と思った。
それにしても何回も濡らされて隊服達も可哀想に。
いやその前に蒼鼎が一番可哀想。
そんな思考にたどり着いて、腰にさしている自分の斬魄刀に詫びた。
すると葵の首にかかっていた鍵型のネックレスが、少しだけ震えた。
蒼鼎からの返事だと分かった。
(そう言えば蒼鼎と話すのも久しぶり……)
何と無くしみじみとした。
そんなことをしている間に雨は更に強くなったのだけど、葵は廷内とまるで変わらない面持ちで座っていた。
良々がかけた縛道は時間が経つと効力が薄れるものだと言うことも。
自分を縛っている縄は湿気を含めば含むほど解けやすくなると言うことも知っていたから。
(長い人生、一回くらいなら悪くないかな)
そう考えて、もうしばらくの間は蒼鼎と二人きりでいることを選んだ。
「ねえ…雨凄くない?」
「何か尸魂界でも珍しい豪雨らしいよ…」
「…マジで?ちょっとやりすぎたんじゃ…」
「何コソコソ話してんのよ」
「良々…!」
女子更衣室で言葉を交していたのは、良々と一緒に葵を縛り上げた女子隊員達。
そこへ首謀者がやって来た。
「良々、マズいんじゃない?相当雨降ってる……」
「は?あんたたち水無月なんかの心配してんの?」
「だって雨って結構体温奪ったりするんでしょ?そんな暖かい時期でもないし…」
「何言ってんのよ、私達友達でしょ?アタシは何回もあいつに殴られてんのよ」
「でも…」
他の女子隊員の言葉も聞かず、フンッと踵を返して更衣室を後にした良々。
残された女子隊員達は。
「……殴られたって、ただ市丸隊長と水無月が仲良いの気に食わないだけじゃない」
「市丸隊長や檜佐木隊長の前だったらブリッ子してるくせに」
「何で私達が良々の色恋沙汰に協力しなきゃなんないの?花椿さんだったら可哀想だって思うし、仕方ないけど」
「……じゃあさ、もうこうしちゃおうよ」
――――――…
三時間後。
雨は止まずとも、葵を縛り上げている縄は緩んだ。
「良かったですね、蒼鼎」
そう言いながら首からかけられた鍵に触れて、まだ激しく降る雨の中を瀞霊廷へ戻った。
たどり着いた隊舎の入り口で服に染み込んだ水を絞りだしていると。
「――葵様!」
「…殺那?」
血相を変えた殺那が走ってきた。
今までずっと微弱になった葵の霊圧を探していたが、豪雨と葵がいる場所の遠さでうまく感知出来なかった。
葵が瀞霊廷の入り口まで来たので、すぐに感じとり駆け付けたのだった。
霊圧制御装置を二つほど外せばそんなことは容易かったのだけど、一般の死神達がいる隊室内でそれは命取りだった。
「お帰りが遅いので何かあったのではと…」
「…少々足止めがあっただけです。殺那こそ職務はどうしたんですか?」
「俺のことよりまずお体です」
そう言って心配そうにズブ濡れの葵を見やる。
もう一度大丈夫だと言おうとした葵の言葉が、止まった。
殺那もそれに気づきとっさに口を閉ざした。
「…仲間を傷つけた次は水遊びか、水無月君」
殺那の後ろに現れたのは、いかにも不機嫌そうな面持ちで立っている東仙。
「君の休みは午前中だけだったはずだ。なぜこれほどまでに遅くなった?」
「……申し訳ありません。」
「君には協調性と言うものがないのか。なぜ隊の規律を守ることが出来ないんだ」
「……」
木に縛りつけられてました、と言ったとしても、到底信じてもらえるわけがない。
東仙は比較的公平に状況を判断できる隊長だが、葵への第一印象が悪すぎるし、証拠が無ければ動かない。
「水無月君、聞いているのか…」
「もうよせ、東仙」
ザッと東仙の横にもう一人隊長格が現れた。
今まで服の水分を追い出すことに専念していた葵が顔を上げると、東仙よりは遥かに見覚えのある瞳と目があった。
「……日番谷隊長……」
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