私が四番隊隊長になってあまり年も経っていない頃。
その子は流魂街から連れてこられた。
まだ幼くて、あどけなくて、笑わない女の子だった。
何のためにその子が流魂街から連れてこられたのかは分からない。
けれど、広い瀞霊廷内でポツンと放っておかれたその女の子。
「…うのはな?」
「ええ、卯ノ花って言うのよ」
他の死神達は放っておいても、私はそれが出来なかった。
「……はじめまして、葵」
特に始めから言葉使いを意識していたわけではない。
普段は相手に失礼がないよう敬語を使っているけれど、目に見えて小さな女の子には使わなかった。
それだけのこと。
葵は愛らしい少女だった。
きっと人間なら十二にもなっていないのだと思う。
当時は零番隊の動きも活発になってきていたし、あまり葵をウロウロさせるわけにもいかなかったから、私がよく面倒を見ていた。
「葵はどうして瀞霊廷に連れてこられたの?」
「……」
いつもこう聞くと葵は黙ってしまう。
だから私もあまりそのことには触れなかった。
そのうち葵が総隊長様と一緒にいることが多くなったけど、よく四番隊には遊びにきてくれた。
小さな体で私の隊長服を引っ張る葵はここの名物だった。
「葵も治癒霊術を学んでみたい?」
「はい」
葵は驚くほど吸収の早い子で。
四番隊でもないのにすぐ治癒の力を身につけてしまって、少々総隊長様から小言を受け取ったのを覚えている。
笑わない子だったけれど、それでも時折見せる笑顔はやはり愛らしく、見ている私の心が安らいだものだ。
葵はいつも絶対と言って良いほど敬語で無表情だったけど、私にだけは時々それを緩めてくれて。
どうしてなのか彼女に聞くと。
「……お母さんて、きっと卯ノ花みたいな人かなと…思ったから」
「……お母さん?」
長い間死神として生きてきてそんなことを言われたのは初めてだった。
ああ、きっと私も葵のことを娘のように思っていたのだろうと、その時気づいた。
だけどある日、葵がふらっといなくなってしまった。
誰に聞いても誰も知らない。
零番隊のことに巻き込まれてなければ良いのだけど、と言う心配もよそに何十年もの間、葵が四番隊へ顔を見せることはなかった。
煙のように消えた彼女は、煙のように帰ってきた。
「お久しぶりです、卯ノ花隊長」
初めて会ったときと変わらない無表情で。
「葵…!どうしていたの、連絡もくれないで!」
「少し、やむを得ない事情がありまして……」
葵が戻って来たのは嬉しかったけれど、空白の何十年のことは何も教えてくれないし、親しい口調をすっかり使わなくなってしまったことだけは悲しかった。
美しく成長した葵が十番隊に入隊ことも、きちんとした死神になったようで誇らしかった。
時間はかかったけどまた前のように話してくれたりして。
長い間、こうやって暮らしてきたのに…。
私はどうして。
葵を信じてあげられなかったのだろう。
あんな悲しい顔をさせてまで花椿さんを守りたいわけではなかったのに。
ただ今まで何の問題も起こさなかった葵が、と思うと、感情が綯い交ぜになってしまった。
それだけだったのに。
どうして信じてあげられなかったのだろう。
(…私がやっていないと言ったら、信じてくれる?)
あんなに苦しそうに言ったあの子に。
どうして返事が出来なかったの。
どうして私は、いつものように優しく微笑んで。
もちろんよ、って。
言ってあげられなかったの。
――――――…
三番隊隊長室にて。
「だーかーら!もう少し耐えてって言ってんじゃないの!」
「せーやーかーら!コレきついってほんまに!」
「頑張んなさいよ三番隊隊長!」
「そんならお前がやってみろや十番隊副隊長!」
三人の間ではいつもの事と言える、ギャーギャーがなりあう言い争いが始まっていた。
周りに人がおらず、且つちょっとした口火の元があればしょっちゅうこの争いは起きる。
そんな二人の間に正座してお茶を飲んでいる葵。
ずいぶん昔から続いてきたことだ。
今も昔も右に乱菊、左にギン、真ん中に葵の構図。
「何回言ったら分かるのよ!」
「何回言われても分からんわ!」
(…私達は体しか成長してないかもしれない…)
ズズ、とお茶を飲んだ。
仲が悪くて喧嘩をするわけではないので、今までも積極的に止めた事は無い。
けれど、時間を見るとそうも行かなくなってくるので声をかけた。
「市丸隊長、乱菊さん」
静かな声で告げたのだが、取っ組み合い一歩手前の二人がハッとした顔でこちらを向いた。
「あ、葵ごめん……気になった?」
「いいえ、気にしてなどいませんよ。ただ時間が迫っていたので」
それを聞いた乱菊がガバッと室内の時計を仰ぎ見て、苛立たしげに叫んだ。
「あーもう、またこんな時間!虚の見回りに行くって言って抜け出してんのに!」
いつもこっそり仕事のフリをして葵に会いに来るため、長い時間はいられない。
「じゃあ葵、またね!」
「はい」
勢いよく開け放していった障子もそのままに、かくして嵐の一人は去った。
「はー…アイツとおると疲れるわ」
「……そんなに大変なんですか、花椿第七席側にいるのは」
「いや、葵の悪口聞くんは大丈夫なんやけどな。そいつらを殺しそうな衝動を抑えんのが大変なんや」
「それは大丈夫ではないですね」
三番隊が血の海になることだけは避けねばならない。
「私の悪口を言う人は騙されている人なんですから、気にしないで下さい」
「んー……せやな。葵が言うなら気いつけるわ」
貼りつけていない笑顔でそう言った。
そんなギンを見ているうち、確か件の風音がこの隊にいた事を思い出す。
「…風音 良々さんってご存じですか」
「らら?あー良々ちゃんな、知っとるよ。イヅルの推薦で七席になった子や」
「そうだったんですか」
「多分な、僕自分の隊員イヅルくらいしかよう知らんし」
(それは…隊長としてどうなんだろう…)
何てことを思っていた所へ。
ガラッ
「市丸隊長、仕事していますか?」
噂が呼んだのか、ここの副隊長・吉良が入って来た。
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