「また盛大にキレたなあ。霊圧での失神者二桁越えたらしいで」
「…それはまた」
あの後意外と早くに意識を取り戻した乱菊は、卯ノ花の治療を受けながら何があったかをギンから半信半疑で聞いていた。
切りつけた相手が七席なこともあり幸い傷は広くとも浅く、跡も残らないようだ。
殺那が元柳斎に報告に行っている間、こうしてずっと葵が気がつくのを待っていた。
「霊圧制御装置を術式無しに破ったから、その反動で倒れたらしいわよ」
「ああ、そうでしょうね……」
「普通なら死んどるで」
運は良いですから、と苦笑した。
体を起こすと少しだけ目眩がしたけれど、こちらへ座っているギンと乱菊の方を向く。
元気そうな乱菊の姿に、今更ながら心から安堵を覚えた。
「…良かった…」
気の抜けた葵の声に乱菊が笑った。
「何よ、私が死ぬとでも思ったわけ?」
「思いました」
「お前尋常やあらへんほど血ぃ出とったんやで。そら葵かてキレるわ」
「もう大袈裟なのよ葵は、らしくないわね。私なんてそこら辺にほったらかしにしておいてくれたら勝手に再生したわよ」
「何の生物や」
未だに夢から覚めていないような葵に乱菊は無理に笑って見せようとしたが、ふと理解した。
嗚呼、やはり気丈に振舞ってしまうものだと。
大切な相手に心配をかけたくない時は、どうしても体が平気なふりをする。
葵が自分達へ弱みを見せない事を責めてばかりいたけれど、今気持ちが分かった。
「いつまでシケた顔してんのあんたは。そんなに私が死ぬの怖かった?」
「はい」
冗談で言ったつもりが、葵は即答した。
うつむいて、言う。
「怖かったんです」
赤く染まった金髪を見た時、それが乱菊ではない証を見つけようとした。
きっとただ髪色が似てるだけの別人で、本人は別のどこかで笑っているんじゃないかと思おうとした。
最低な事だと分かっていても、乱菊が死んでしまう事に比べたら、そんなものはどうだってよくなってしまって。
ただ、ひたすらに、それが怖かった。
怖くて怖くて仕方なかった。
死んだら、もう逢えない。
あの時のように引き裂かれるのは二度と御免だ。
「なに言ってんのよこれくらいで。また風音でも花椿でも来たら、いくらでも私が囮になればいいじゃない。傷は治るんだし、本性暴けるし」
「嫌です、それなら私が風音さんにやられる方がずっと良いです」
うつむいたまま首を横に振った。
「ちょっと葵……」
「……いい加減分かってください」
え?と顔をあげると。
信じられないものを見た。
「…葵…?」
葵が、泣いていた。
着物の膝元を握りしめながら、背筋を伸ばしてギンと乱菊を見上げている。
その大きな瞳から、一粒、二粒、涙がこぼれ落ちた。
生まれて初めて見た彼女の泣き顔は。
透き通るように美しくて。
どこまでも、綺麗で。
悲しかった。
「お願い、ですから…」
ぽつりと、言ってはいけないことを恐る恐る言うように。
誰かに嫌われるのを怖がる子どものように。
とても小さな声で呟いた。
「どうかお願いですから、私の代わりに傷付いたりしないでください。もう、二度と、私は……」
「……あなた達を、失いたくない……」
小さな肩が震えていた。
初めてだろうに、誰かに涙を見せるのは。
嗚呼、この子がもっと大声で泣き喚けたらいいのに、と千切れそうな胸で乱菊が思った。
悲しみと不安を噛みしめて噛み砕いて、それでも飲み込みきれずに溢れてしまうくらいなら、最初から全部吐き出してしまえばいいのに。
「葵……」
その姿があまりにも小さな少女で、あまりにもたくさんのことを背負ってきた少女で。
乱菊は泣きながらその体を抱きしめた。
葵はいつだって自分達の事を愛していた。
葵自身よりもずっと。
そんな彼女が人前で泣くだなんてどれ程のことだろう。
どれ程の思いで制御装置を壊してしまったのだろう。
一体いつこの子の中から、こうして弱みを見せる部分が消えたのだろう。
葵は一度も守ってほしいとは言わなかった。
もっと自分を心配しろ、と言いたくなるほど、ギンと乱菊の事しか考えていなかった。
その時に気づくべきだったのだ、自分達が傷つけられた時、葵がどれほどのショックを受けるのかを。
例え本人の顔色が変わらなくとも、『自分が傷つけばいい』という乱菊の冗談が、どれだけ葵の心を抉るのかを。
「すまんな葵……」
「ごめん、ごめんね。私、何にも分かってなくて……」
抱きしめられながら、乱菊の体の中でかぶりを振った。
久しぶりの人の体温を感じて目を閉じる。
良いんだ。
謝らなくても良いんだ。
ただもう、ずっとこのままでいられるのなら。
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君が 自分のために泣けたらいいのに
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